知覧特攻平和会館に想う


知覧特攻平和会館に行ってきました。私自身は、特攻で亡くなった若者たちの至誠を疑うものではありません。

しかしながら、彼らを美化することによって、彼らを侵略戦争に殉じさせた国家の犯罪を曖昧にしてはならないと思います。

また、彼らが殺害した米兵たちの生命もまたかけがえのないものであることを忘れてはなりません。あの戦争は日本が始めたのであって、米国が一方的に攻め込んできたものではないのです。

さらに、彼らの行為は国民を守る結果にはなっていませんでした。国民を守るためには、ただ国家の指導者が「降伏する」と言えばよかったのです。特攻の本質は、国家が不正な戦争のために、国民に対して命を捧げることを強制したものだったのです。

そして、「俺たちも後から行く」と言って彼らに命を捧げることを強制した者たちは、戦後、責任をとることもなく政財界で活躍したケースも多かったのです。そして最高責任者は、自らの責任を文学方面のことと放言し、なんの責任を取ることもなく、1989年まで生き延びました。

このことはまさに現在につながっています。憲法を改悪することによって、再び国民に死を強要しようとする自民党・公明党政権の策謀を許してはなりません。




1 初めに

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筆者:柳川行雄


(1)知覧特攻平和会館の展示を閲覧してきた

知覧特攻平和会館

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最近、鹿児島へ行く機会があり、時間がとれたので少し足を延ばして“知覧特攻平和会館”へ行ってきた。同館は南九州市が運営しており、元の名称は“知覧特攻遺品館”といっていたことからも分かるように、陸軍の神風特攻隊(航空特攻隊)を中心に、隊員の遺影と遺書・絶筆などを中心に蒐集・展示している施設である。

2017年3月に当時の安倍内閣が教育勅語について「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」と閣議決定し、また同政権によって、安保法の制定、海外派兵の実施、憲法改悪の動きなど、戦争への動きがある中で、国家が国民に死を強要した“特攻”について無関心ではいられなかったからである。

バスの時間の関係もあり、私は同館で3時間30分ほどを過ごした。その際の報告をしておきたいと思う。


(2)特攻をどう理解するべきか

ア 戦争を経験した軍人の考える特攻

意外に思われるかもしれないが、私自身の個々の特攻隊員に対する考え方は、旧日本軍の軍人(の一部)とそう異なるものではない。旧日本軍中佐の鳥巣建之助氏(1908~2004)は海軍反省会で次のように述べておられる。

だからね、特攻なんかに頼ること自体はね、これはおかしいんだ、ということであってですね。

だから私は最後にですね、今日はこれやめましたけれども、確かに特攻に殉じた若者たちの行為はいかなる賛美も惜しむものではない。

だからといってですね、特攻作戦を賛美することはできない。そこには深刻な反省と懺悔がなければならない。悲愴極まる特攻作戦を採用しなければならなくした戦争指導者、為政者や軍首脳などは、開戦に踏み込んだこと、終戦のときを誤ったことを反省するだけでなく、明治末期から大正、昭和に進むにしたがい思い上がり、驕りが昂じ、大陸で、太平洋で身のほどを知らぬ暴走をやり、ついに日本を破滅に追い込んだ。

 戸髙一成編「特攻 しられざる内幕 「海軍反省会」当事者たちの証言」(PHP新書2019年)

私も、この点に関しては鳥巣氏の考え方と同意見である。私もまた、個々の特攻隊員の“国”を想う気持ちや、その至誠を否定するものではない。しかしながら、特攻が行われた背景などに対する基本的な見方については、私の考え方は鳥巣氏と同じではない。

イ もう一つの視点

私は特攻の本質を考えるとき、以下の3点を忘れてはならないと考えている。この点については、鳥巣氏はおそらく私とは異なる考えだと思われる。

  •  客観的にみて、彼らは不正義の戦い(侵略戦争)に荷担させられていたのであって、戦争そのものが国を守るための戦いではないこと。
  •  彼らが殺害した米国軍人たちの生命もまた、かけがえのないものであったこと。私は、特攻は兵器としても効率の良いものではないと考えているが、それをたんに成功・失敗として評価することには同意できない。
  •  現実には、特攻は国民一人一人の集合体としての“国”を守るという意味はなかったこと。

以上の3点である。


(3)知覧特攻平和会館の基本スタンス

また、知覧特攻平和会館の語り部の方が「太平洋戦争はハルノートによって始まった」「日本が占領した地域は植民地であった」と述べておられた。これは、旧日本軍の戦争行為を正当化し、特攻を美化するものと私には聞こえた

“特攻作戦”は 何故行われたのか

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 この点について同館がWEBサイトにアップしていた「“特攻作戦”は 何故行われたのか」は、驚くほど露骨な表現で、日本の侵略戦争を正当化している。

 右図は、この資料のコピーであるが、これによると、「『ハル・ノート』と呼ばれる強硬な提案を突きつけられ、苦境に陥った日本は、アメリカの要求を受け入れて先進諸国の植民地になるか、それとも戦争に打って出るべきか、という厳しい状況判断を迫られたのです」と書かれている。すなわち、日本は米国によって戦争に追い込まれたのだとされているのである。

しかし、ハルノートが要求していたのは、日本軍の中国占領地域からの撤退、3国同盟の有名無実化、汪兆銘政権の否認などである。どこをどう読んでも、日本を先進諸国の植民地にしようなどというものではなかった。すなわち、米国としては当然のことを要求しているに過ぎないし、ハルノートを無視して戦争には踏み込まないという判断もあり得たのである。

 図は、知覧特攻記念館「“特攻作戦”は 何故行われたのか」より。なお、同館は、現在はこの資料のダウンロードを停止している。

特攻に用いられたゼロ戦

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そればかりか、同館にはわが国の侵略行為への反省や、特攻を企画し命じた者たちについての展示・説明もまったくないのである。これは、特攻作戦を個々の特攻隊員の自己犠牲という観点のみから描き、これを美化することによって、間接的に国家が行った行為を正当化するものであると感じられた。このような同館のスタンスについても、きわめて問題が大きいものと考えている。

以下、次ページ以降で詳しく述べたい。