知覧特攻平和会館に想う


2 特別攻撃隊の本質とは何か

(1)あの戦争は不正義の戦争(侵略戦争)である

ア あの戦争の本質をどう捉えるか

(ア)侵略戦争なのか植民地の開放なのか

特攻の本質について語ろうとすれば、まずその戦争の本質を語るべきであろう。それなくしては特攻の本質は理解できない。なぜなら、それは戦争の中で行われた行為だからだ。

日本人の一部には、旧日本軍の戦争行為を、欧米諸国に対する植民地支配からのアジアの解放であると考えたがる人々がいる。先述したように、私が聴いた知覧特攻平和会館の語り部による解説でも「日本が進出した地域は欧米の植民地だった」という趣旨の説明がされている

 知覧特攻平和会館の「“特攻作戦”は 何故行われたのか」は、「わが国としては、アジアにおける欧米列強の植民地支配の状態を開放して、アジア独 自の勢力圏(当時は『大東亜共栄圏』といった)を作り、アジア諸国が共に繁栄することを目標とし、ついにアメリカを主軸とする連合国との戦争に踏み切ったのです」としていた。なお、この資料は、現在では同館のWEBサイトから削除されている。

すなわち、日本の侵略を開放と言い募っているのである。しかし、実態は日本軍による新たな支配と収奪に過ぎなかった。多くのアジアの民衆は、自らの独立のために日本軍の支配と闘ったのである。

もちろん私も、チャンドラ・ボースのように、侵攻する日本軍の力を利用して祖国解放を実現しようとした人々がいたことは否定しない。

(イ)植民地の開放ではなく明白な侵略戦争だった

しかし、それまでに日本が国土に併呑していた台湾や朝鮮半島は欧米の植民地ではなかった。また、満州も日本人の一部の人々が言い募っているように「漢民族に支配された満州族の土地」などではなかったのである※1。実を言えば、満州においても当時すでに満州族は少数派だった※2が、漢民族に支配されているという実態はなかったのである。

※1 安倍元総理はさらに暴論を主張している。総理就任前の2005年に、「サンデープロジェクト」で「満州は攻め入って創ったわけではない」「満州に対する権益は第一次世界大戦の結果、ドイツの権益を日本が譲り受けた面があります」などと発言しているのだ。

もちろん、満州にドイツが権益を有していたなどという事実はない。青島と間違えたのだろう。ドイツの租借地だった青島を、日本は対華21箇条要求によって権益を承継したが、その後ワシントン会議で中国に返還しているのである。安倍元総理の歴史認識は小学生以下と言ってよいようだ。

※2 清帝国建国直後には、支配民族であった満州族は中国東北部(東3省)を自らの本拠地と考えており、漢民族の東3省への立ち入りを禁止していた。しかし、満州族の人口が減少するにつれて、漢民族の移入を認めざるを得なくなるのである。

日本が柳条湖事件によって満州帝国を「建国」する前は、張作霖(作霖の死後は後を継いだ張学良)によって実質的に支配されていた。張作霖は蒋介石軍の北伐によって追いつめられていたが、父親が日本軍に殺されたことを知っていた張学良はむしろ国民党に従った。当時すでに、満州族も漢民族も中国の国民という考え方が支配的で、満州族の多くも東3省も中国の国土の一部と考える者が多かった。

朝鮮半島においては、富の収奪のみならず、国民の誇りである言葉、名前、信仰まで奪い、三一独立運動などの民族独立運動を虐殺、暴行、放火によって弾圧した。これは、台湾の霧社事件についても同様である。

 事件の契機そのものは偶発的な面があるが、その後の弾圧は植民地支配を遂行するための虐殺行為であった。日本軍は味方藩をして反乱軍の首狩りまでしているのである

そして、フィリピン、インドシナ、マレーシア、インドネシアなどが植民地だったことは事実であるが、日本軍の行ったことは“解放”などではなく、さらなる支配と収奪にすぎなかったのだ

 安倍元総理は2019年10月4日の第200回臨時国会の所信表明の中で、「百年前、米国のアフロ・アメリカン紙は、パリ講和会議における日本の提案について、こう記しました。一千万人もの戦死者を出した悲惨な戦争を経て、どういう世界を創っていくのか。新しい時代に向けた理想、未来を見据えた新しい原則として、日本は『人種平等』を掲げました」と述べた。冗談ではない。日本のやったことは、アジア人がアジア人を支配し、抑圧するということにすぎなかったのである。

また、安倍元総理は「日本が掲げた大いなる理想は、世紀を超えて、今、国際人権規約をはじめ国際社会の基本原則となっています」とも述べた。これまた歴史の捏造というより他はない。国際人権規約はA規約とB規約のふたつがあり、第1条は共通であるが、「民族自決権」を掲げるのである。朝鮮や台湾の民族自決権を徹底的に抑圧、弾圧した歴史を完全に歪曲し、日本が行ったことを正当化しているというべきである。

イ 知覧特攻平和会館の展示は戦争行為を美化している

2015年に、日本は特攻隊員の遺書などを国連(ユネスコ)の記憶遺産登録に申請したが、「日本からの視点のみが説明されており、より多様な視点から世界的な重要性を説明することが望まれる」として選定されなかった。

このとき中国は「侵略の歴史を美化」するものだとして強く反発した※1。これに対し霜出南九州市長は「目的は特攻の歴史を美化したり賛美したりすることではなく、悲劇を繰り返させないため」と記者会見で反論したが、英紙タイムの記者は、知覧特攻平和会館では「説明の中に、戦争の恐怖について言及しているところはなかったと記憶している。確かに悲劇だと感じたが、特攻隊員の犠牲がまるで崇高な死であったような印象を見学者に与える」と指摘したとされる※2

※1 2014年2月11日J-Castニュース「特攻隊員遺書の世界記憶遺産登録に中国反発『侵略の歴史を美化』」による。

※2 2015年5月15日RecordChinaニュース「特攻隊資料のユネスコ世界記憶遺産申請、外国人記者から鋭い指摘相次ぐ―中国メディア」による。

私もまた、同館において同記者と全く同じ印象を受けている。同館では、あまりにも多くの事実から目をそらし、侵略戦争を正当化しているのである。


(2)あの戦争は自衛戦争ではなかった

ア 対米戦争はハルノートによって始まったのではない

これも先述したが、私が聴いた知覧特攻平和会館の語り部の解説では、対米戦争は「ハルノート」によって始まったという趣旨の発言をされた。そのとき、米国によって日本は対米戦争に追い込まれ、さらに、米国に攻め込まれたため、特攻隊員は日本国民を守るために自らを犠牲にして戦ったというストーリーを描きたいような印象を受けた。

イ 日本が対米戦争に踏み込んだ理由とは

だが、このような歴史観は誤りである。日本が対米戦争を開始したのは、ハルノートを突きつけられたからではなく、米国の禁輸政策が原因だったのである。

実は、日本は戦争遂行のための物資=原油、鉄くず、工作機械など=を米英からの輸入に頼っていた。にもかかわらず、日本は3国同盟に加盟し、英国と敵対していたドイツと手を組んだのである。そのために米国は敵性国家に対する原油の輸出を止めたのだ。これは当然のことであろう。

ところが、当時の日本政府はおろかにもそのことを、3国同盟締結時に予想できなかったのである。

 山本五十六は日独伊3国同盟の締結に際して、及川海相に対して次のように発言している。「私は海軍軍人として大臣に対しては絶対に服従するものであります。ただし、一点心配に堪えぬところがあるのでお訊ねしたい。昨年八月まで、私が次官を務めていた当時の企画院の物動(物資動員)計画によれば、その八割は、英米勢力圏内の資材で賄われることになっておりました。今回三国同盟を結ぶとすれば、必然的にこれを失うはずですが、その不足を補うために、どういう物動計画の切り替えをやられたか、この点を明確に聞かせていただき、連合艦隊の長官として安心して任務の遂行をいたしたいと存ずる次第であります」

これに対し、及川海相は答えなかったという。(半藤一利編著「なぜ必敗の戦争を始めたのか」(文春新書2019年)による)。

このため、そのままでは海軍は石油がなくなって身動きが取れなくなってしまう。そこで、そうなる前に真珠湾攻撃という“博打”に打って出たというのが本当のところなのである。

しかも、その後でフィリピンを攻撃、占領し、多くの米軍捕虜を死亡させるという事態となった。このため、米国は一丸となって日本の先制攻撃に対して報復を誓うのである。

これは、日本側が始めた戦争であって、米国による一方的な締め付けに対して自衛反撃を行ったなどというものではないのである。

ウ 知覧特攻平和会館で語られないこと

知覧特攻平和会館の展示物には、特攻隊が殺害した米国軍の若者たちもまた、一人一人の人間なのだという観点は抜け落ちている。視聴覚室で上映されたビデオには、空母に体当たりする特攻隊員がまるで英雄であるかのように描かれているのだ。

そして、日本軍がアジアにおいてどのような犯罪的な行為を行ったかの記述もまた見られないのである

 NEWSポストセブンは、ユネスコの記憶遺産に中国が反対したことについて、地元民の言葉としてではあるが「こんな馬鹿げた国を相手にする必要などない」とし、中国が南京事件と慰安婦問題を記憶遺産に申請したことに対して「厚顔無恥」と言ってのけた(2014年7月30日同誌記事「鹿児島県民 中国に『こんな馬鹿げた国相手にする必要ない』」による)。

これは同誌の見解ではあるが、知覧特攻平和会館の展示の思想にもこのような考え方が垣間見えるのである。