偽情報を信じないために


下山事件は、現在公開されている情報を虚心坦懐に見る限り、自殺であることは明らかです。にもかかわらず、多くの人々がこれを他殺だと信じています。

なぜ、人は間違ったことを正しいと信じるのでしょうか。

誤った情報を見極める方法を見破る考え方を検討します。




1 はじめに

執筆日時:

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筆者:柳川行雄

人はどのような情報を正しいと感じるのだろうか。それは合理的な根拠のある情報なのだろうか、それともたんに信じたいと思う情報なのだろうか。情報が溢れた現代社会で生きてゆくには、どの情報を信じるかがきわめて重要だということはよく指摘されることである。誤った情報を信じると、身を亡ぼすことになりかねない。しかし、私自身を含めて、人は必ずしも合理的なことに信を置くのではないようだ。

客観的にみればきわめて危機的な状況にある企業において、少なくない経営者が、問題がないと信じて安穏と経営を行って、企業を倒産させている。そればかりか、客観的にみて勝てるはずのない戦争を勝てると信じて国を亡ぼした例さえ多い。"信じたいこと"を"真実"だと信じて身を亡ぼした例は、歴史の中にきわめて多いのである。

戦後の混乱期に発生した下山事件は、このことを考える上で、きわめて有用な材料を与えてくれるように思える。下山事件とは、国鉄の大量解雇を目前にして労使が騒然としているとき、その一方の総責任者である国鉄総裁が当の国鉄の列車に轢断されたという事件である。

下山総裁の死が他殺なのか自殺なのか、国内の知識層は2つに割れた。また、他殺だと信じる人々の中にも、国鉄労組による犯行だと信じた人もいれば、米国による謀殺であると信じる人々もいる。

だが、さすがに最近では下山事件に対する国民の関心も薄れつつあり、若い人々の中には下山事件を知らないということも多いようだ。しかし、最近でも、自殺説と他殺説のそれぞれの立場から"証拠"が公表されたりするなど、現在でも論争は続いている。

また、この事件は、国鉄の大量整理解雇がスムーズに行われることに寄与した事件としても知られる。下山総裁の死のおかげで、大量解雇が円滑に進んだといわれているのである。

ある事件が起きたとき、最も利益を得たものが、その事件の犯人として最も怪しいと考えるのは自然なことであろう。松本清張氏の"日本の黒い霧シリーズ"や、映画にもなった矢田喜美雄氏の「謀殺・下山事件」は、下山事件は大量解雇を円滑に進めようとした勢力の謀殺だとする。そして、これらの影響などもあり、下山総裁はGHQ による謀殺だと信じる国民も多い。

ところが、この事件について他殺説を唱えておられる方の中には、まず他殺ありきで、他殺に都合の良い証拠しかみようとしていない人々が少なからずいるように思えるのだ。彼らにとっては、他殺説こそが科学的な態度であり、自殺説を信じる人々は、誰かに騙されているなど科学的な思考のできない人々ということになるようだ。

私も、この事件について最初に知ったときは他殺だと思えた。しかし、様々な文献を調べてみた結果、合理的に考えれば自殺だと考えるしかないと思えてきたのである。というより、さしたる根拠もなく"他殺"だと報じるのであれば、それはフェイクニュースというべきではないかとさえ思っている。

そこで、本稿では、歴史というファクトを見るときの視点について、下山事件を例にとって考えてみたいと思うものである。


2 下山事件とは

(1)下山事件の概要

下山事件は、三鷹事件、松川事件と並んで、一定年齢以上の日本人なら誰でも知っている事件だと思う。しかし、最近の若い人の中には知らない人もおられるようなので、簡単に概要を記しておこう。

戦後、国鉄(現JR各社)は、復員兵を大量に抱え込んでおり、占領軍の指示もあって、大量解雇の実施を余儀なくされていた。このときの国鉄総裁が、事件で亡くなった下山貞則氏である。なお、下山氏の総裁就任は、解雇というやっかいな業務を押し付けられた形だったと考える向きもある。解雇などということがなければ、本来は、次期総裁となった加賀山副総裁が総裁になっていたはずだというのである。

すなわち、下山氏は貧乏くじを引いたような形になっていたのだが、大量解雇という困難な課題があったからこそ総裁の地位に付けたともいえ、かなり張り切ってもいたようだ。すなわち、よそ眼には自殺などするはずがないような人物と思われていたようなのである。

さて、その下山総裁が、この整理解雇を目前にした1949年7月5日の朝、総裁専用車に乗って自宅から国鉄への出社途上、大西運転手に命じて、車であちこちに移動したあげく、あるデパートの前で車を降りると、その後の指示もせずに姿を消してしまったのである。大西運転手としては、指示がないのでどうしてよいか分からない。ただ、それまでも似たようなことがあり、そんなときは勝手に車を動かすと総裁が不機嫌になることが分かっていたので、その場所でそのまま待っていた(※)

※ そのため、いつまでも同じ場所で待っているというのは不自然だというので、大西運転手は下山事件になんらかの関わりがあったのではないかと、警察でかなり厳しい取り調べを受けている。しかし、過去にも同様な例があって、そのようなときに車を動かしていると下山総裁が不機嫌になったために、その場所で待っていたということが分かり、疑いが晴れている。

ところが、国鉄本社では、出席予定の会議があるにも拘らず、総裁が出社してこないというので、大騒ぎになっていたのである。自宅に連絡すると、いつもと同じように出社したという。警察とも連絡を取り、経緯をマスコミに公表したところ、一部の記者は総裁が誘拐されたと感じたようだ。ラジオで総裁行方不明のニュースが流れると、それを聞いた大西運転手から連絡が入った。しかし、総裁の行方はようとして知れなかったのである。

ところが、翌日の早朝に、北千住・綾瀬間の国鉄線路上で、男性の轢断死体が発見される(※)。遺留品の中に下山総裁の名刺があったため、下山総裁の顔を知っている国鉄職員が現場へ向かい、遺体が下山総裁だとの確認が取れたのである。

※ 最初は女性の遺体だと思われたようだ。


(2)鑑定結果は死後轢断

遺体の検案のために現場に駆け付けた八十島監察医は、それまでも轢断現場を何度も見ている経験から、とくに不審な点はなく、自殺または事故だと判断した。しかし、重要人物でもあり、まさに"時の人"なので司法解剖をしてみるのもよいと、警察の捜査員に述べたのである。

そこで、一応、念のためということで、遺体を東大法医学教室へ運び、司法解剖を依頼した。なお、東大法医学教室へ運んだのは、当時の東京都内の事件の司法解剖の担当は、事件の発生場所によって決まっており、それに従ったためであり、他に理由はない。

ところが、司法解剖が行われた後、同法医学教室の古畑教授が驚くべきことを述べるのである。すなわち下山総裁の遺体の轢断部には生体反応がないというのだ。分かりやすく言えば、"総裁が列車に轢断されたときは、すでに生きていなかった"というのである。ただ、その時点では、同教授は"自他殺の別については不明"と慎重な態度をとっていた。

だが、遺体が自ら線路に飛び込むわけはない。死後に轢断されたというのであれば、第三者が遺体を線路に運んだはずである。であれば、他殺以外にあり得ないと、誰もが考えた。

なお、死亡の原因について古畑教授は、下山総裁の遺体の陰囊(睾丸)部に出血が見られることから、陰囊部を蹴り上げて殺害された可能性があると後に語っている。


(3)自殺の証拠(目撃証言)が現れる

ところが、警視庁捜査1課が徹底した聞き込みをすると、総裁が車を降りた場所から轢断現場まで、総裁らしき人物が単独で行動しているのを見たという目撃証言が次々に出てくるのである。これにより、車を降りた場所から、轢断現場まで、総裁が単独で移動したことが確認されてしまったのだ。

しかも、その途中で、やや芳しくない営業をしている旅館において一人で休憩しており、女将と簡単な会話をかわしているのである。

こうなってくると、単独で移動したからには、轢断現場まで自らの意思で移動したとしか思えないのである。すなわち、今度は自殺だとしか思えなくなってきたわけだ。


(4)死後轢断を否定する証拠が現れる

また、下山事件の直後の7月15日に三鷹事件が発生した。これは、車庫に停車していた電車がいきなり暴走して三鷹駅構内に突入し、電車を待っていた多数の被災者がこの電車に轢断されるという事件である。

この事件では、遺体は慶応大学法医学教室で司法解剖された。ところがこの事件でも、轢断面に生体反応がない遺体が多かったのである。そればかりか下山総裁と同じように陰囊部に出血の見られたものも多かった。三鷹事件では、犠牲になった方が直前まで生きておられたことは明らかである。このため、慶応大学法医学教室は下山総裁も生体轢断ではないかと主張した。

なお、現在では、列車や自動車によって轢死した遺体には生体反応がないものが多くみられ、また、陰囊部等に出血が見られるものがあることも法医学の常識となっている。しかし、当時は必ずしもそのことは知られていなかったのである。

ここで、生体反応について簡単に説明しておこう。生体反応とは人体の切断面の"出血"のことである。人が生きていると心臓が動いているので、体の一部が切断される(例えば轢断)と、心臓の圧力によって切断面から血液が体外に押し出される。これが医学でいう"出血"である。

ところが心臓が止まっていると、体の一部が切れても血液を押し出す圧力がないので"出血"はしない。もちろん、血液が固まっていなければ傷口から流れ出ることはある。しかし、それは法医学の世界では"出血"とはいわないのである。この"出血"が、すなわち生体反応なのである。

繰り返しになるが、最近の法医学では、轢断された遺体には、轢断面に生体反応がないことが多いことは判っている。轢断で亡くなった場合、最初に列車に接触したときに死亡してしまうと、そのあと身体が轢断されても、轢断面に出血は起きないからである。

また、轢断遺体に特徴的な陰嚢部の内出血は、列車との激突による強い圧力によって、陰嚢部に血液が押しやられるために発生するのではないかと考えられている。そうなると、死亡直後の遺体が轢断されたとしても、生体と同様に陰嚢部に「出血と同様な状況」が起きる可能性は否定できない(※)

※ 死体が列車に轢断されることは、きわめて特殊なことで、現実に起きるようなことはないので、確認のしようもないのである。

すなわち、陰嚢部に出血があるからと言って、必ずしも生体轢断であるという証拠にはならない。しかし、だからと言って死後轢断の証拠になるわけでもないのである。


3 自殺説と他殺説の争い

(1)自殺説と他殺説の対立

なお、警視庁では、捜査1課は自殺説をとっていたが、実は捜査2課は他殺説をとっており、警視庁の内部でも見解は分かれていた。また、先ほども述べたように法医学の専門家も、東大が他殺、慶応大学が自殺と見解が分かれていたのである。

マスコミも、朝日新聞の矢田記者が他殺説、毎日新聞の平記者は自殺説をとっていた。なお、当時は、GHQ や政府が労組による他殺説を匂わせていたのに対し、国鉄労組など革新勢力はどちらかといえば自殺説を主張していたのである。このため、朝日は政府寄り、毎日は革新勢力寄りなどと言われたものだが、必ずしもそれぞれの新聞社がそのような方針を採っていたわけではないようだ。


(2)GHQ による自殺説発表の差し止め

警視庁としては、捜査1課による聞き取り調査等の結果から自殺であることは間違いないと考え、自殺と公表しようとした。ところが、GHQからストップがかけられたのである。理由は明らかであろう。国鉄労組職員による殺人だと国民に思わせておく方が、大量解雇の実施には都合がよいと考えられたからだとしか思えない。

加賀山氏も、下山総裁が殺された(※)ために、その後の国鉄の整理解雇がスムーズに進んだと、後に述べている。これは加賀山氏のみならず、そのように考えている関係者は多いのである。

※ 加賀山氏は、下山総裁は国鉄労組に殺害されたと信じておられるようだ。


(3)GHQ が謀殺したとの説が広がる

ところが、国鉄の整理解雇が終わった後で、今度は、GHQ の参謀第2部(G2)のウイロビーが首謀者である謀殺ではないかとの説が広まるのである。

その説が広まることに寄与した最も有名なものは、先述した松本清張氏の日本の黒い霧シリーズであろう。松本氏は、同シリーズにおいて、下山総裁はGHQのG2による謀殺であるとの推理を紹介された。氏が日本を代表する人気推理小説作家であることもあり、この説は多くの日本人が信じるところとなったのである。

また、日本の人気漫画家の手塚治虫氏が、総裁の名前は"下川"と変えているものの、明らかに下山事件を題材にした作品である"奇子"において、松本氏の日本の黒い霧の主張を、ほぼそのままストーリーに取り入れられた。この作品もまた、米国が下山総裁を殺害したというイメージの拡大に貢献したものといえよう。

そして、これらの作品の影響等もあり、革新勢力もGHQによる他殺説を唱えるようになった。すなわち、保守・革新両勢力がともに他殺説を喧伝するようになったのである。


(4)自殺説が次々に公表される

ところが、ここ数十年ほどで、法医学や労働運動史の専門家の間で、自殺説が有力になってくる。ただ、その頃になると、すでに国民の多くは下山事件への関心を失っていた。そのためもあるのだろうが、自殺説の関係書は、あまり多くは発行されず、多くの国民の目に触れるところとはなっていないようである。

私は、学生時代に下山事件について知る機会があり、我が国の現代史におけるこの奇妙な事件に関心を持った。その後、日本で発行された下山事件に関する著書はすべて購入して読んでいると思う。雑誌類の特集記事なども目に付けば購入しているが、こちらは見落としたものもあるかもしれない。

そして、私が下山事件について調べ始めた時期は、自殺説が有力になる直前だった。その結果、私自身は、最初は下山総裁が他殺だとする文献を読んだのだが、その後は、それらの説を否定する研究成果を時系列体に読むことになったのである。

そして、私が読んだ数多くの著作などの記述から判断すると、下山総裁は自殺だったとしか思えないのである。"自他殺の別が不明"などということではない。これまでの調査研究の結果から、合理的に考える限り"他殺"の可能性はないと思えるのだ。

私が下山総裁は自殺だと考えるに至った、もっとも重要な文献としては、佐藤一「下山事件全研究」(時事通信社 1976年)及び、錫谷徹「死の法医学 下山事件再考」(北海道大学図書刊行会 1983年)の2冊がある。

なお、自殺説の草分けとしては、平正一「生体れき断」(毎日学生出版社 1964年)があるが、同書は、神田の古本屋街などでかなり探したが手に入れることができなかった。そのためこの本は読んでいない。内容が内容だけに再刊されるようなことはないだろうから、これからも読むことはできないだろうと思う。

他殺説の立場をとる下山事件研究会が編集した「資料・下山事件」(みすず書房 1969年)は、岩波ホールの近くにあった信山社で見つけて購入した。刊行されたのが、自殺説が主流になる以前なので、その後の自殺説の研究成果は編まれていないが、他殺説に偏ることなく、当時の自他殺双方の側の資料が包括的に収集されていると思う。

ア 法医学による所見

ところで、下山事件は、殺害犯とされた容疑者が逮捕されたわけでもなければ、まして刑事裁判になったわけでもない。裁判になっていないため、法医学の分野では、あまり下山事件についての詳細な鑑定や調査は行われていないようだ。

しかし、すでに述べたように、轢断面に生体反応(出血)がないから死後に轢断されたという自殺説の根拠となっていた説は、今日の法医学では、ほぼ否定されている。また、東大法医学教室の古畑氏が亡くなった後、少なくない刑事事件について、同氏の鑑定結果が否定されて冤罪事件とされたこともあり、今では古畑氏の評判がかなり低下していることも事実である。

なお、轢断現場に出血の跡があまりなかったことから、下山総裁は血液を抜いて殺害されたという、やや根拠の薄い説が流布している。しかし、東大法医学教室もこの説については明確に否定している。下山総裁の遺体には欠けている部分はなく、そのどこにも注射針などで血を抜いた痕はなかったというのがその理由である。

この理由は法医学の世界では十分に納得できるもののようだ。下山事件にコメントしている法医学の専門家は、血を抜いて殺害したという説は問題にもしていない。その可能性はないと言ってよいであろう。これもひとつのフェイクニュースといえるかもしれない。

そのような中で、錫谷氏の前掲書が新説を唱えていることが注目される。錫谷氏は、東大法医学教室が作成した下山総裁の遺体の鑑定書を用いて、自他殺の別を検討しておられる。鑑定書によれば、下山総裁の肩部に円形の穴があったとされている。なお、一時、拳銃で撃たれたのではないかといわれたが、その説は否定されている。

錫谷氏によると、肩部へのそのような穴は、胸部に平らな物体が激突した場合に、肋骨によってできるという。そして、下山総裁が線路上に立っていたとすると、下山総裁を轢断した機関車の前部の、ちょうど胸の高さに平らな部分があるのだ。すなわち、下山総裁が線路上に立っていて、機関車に激突されたと考えると、この穴について矛盾なく説明ができるのである。

遺体を線路上に放置したのであれば、機関車に激突されたときに立っている可能性はないといってよい。立っていて機関車に激突されたのであれば、自殺であると考えることが合理的なのである。

すなわち、これまでの法医学の研究成果は、下山総裁が他殺であるとの根拠を完全に否定し、むしろ自殺の可能性が高いとしているのである。

イ 遺体を運搬することの困難性

また、他殺とすれば何者かが下山総裁の遺体を轢断現場まで運んでいなければならない。では、客観的に見て、遺体を誰にも見られずに現場まで運ぶことは可能だろうか。現場は、当時は人通りの少ない場所だったとはいえ、人通りがなかったわけではない。だからこそ、警視庁捜査1課の聞き取り調査で下山総裁と思われる人物の目撃情報が得られたのだ。

この点につき、松本清張氏は、直前に現場を通過した占領軍の専用列車によって運ばれたのではないかと推定している。しかし、これは佐藤一氏の前掲書によって完全に否定された。確かに、常識で考えてもそのようなことはあり得ないといってよい。

占領軍専用列車は、無人ではない。多くの米軍関係者が乗車していたのである。仮に占領軍専用列車で運ばれたとすると、遺体を降ろすときは、走ったままで最後列の貨車から放り出すしかない。停車すれば、列車に乗っている軍人や軍属たちが、下山総裁の轢死と関連付けて騒ぎ出すだろう。しかし、乗車していたかなりの数の占領軍関係者は、誰もそんなことを証言したりはしていないのである。

一方、列車から遺体を放り出したとすれば、近くに通行人がいないタイミングで投げ降ろさなければならない。すなわち、列車が走ったままだと予め場所を正確に決めることはできないのである。

そうなると地上で遺体を受け取るグループは、車で列車と並走するか、近くに待機していて遺体が降ろされると同時に現場へ走ってゆくしかない。どちらにしても、目撃者が出るおそれが強い目立つ行為である。とうてい、そのような方法で遺体を運搬できるとは思えない。

鉄路で運ぶことができないとなれば、人間を運ぶ他の方法としては、現実には車で運ぶか、生きている本人にそこまで行かせるしかないだろう。何度も述べているように、現場の付近は、まったく人通りのないような場所ではないのである。

しかし、当時はまだ車が珍しかった時代である。都心部とは異なり、現場には乗用車のみならず、トラックやバスもそれほど走ってはいなかった。車を使ったのなら目撃情報が出るはずだが、そのような情報はない。だとすれば、車で運んだとは考えにくいのである。

残る方法は、本人にそこまで行かせることだろう。しかし、本人の意思に反して数人がかりで無理やりか、又は脅して連れて行ったとも思えない。というのは、数人のグループを目撃したという情報がまったくないからである。

一方、繰り返すが、下山総裁らしき人物が一人で歩いていたのを見たという目撃情報は、複数、得られているのである。だとすると、本人をだまして現場まで行かせ、その場で本人を殺害するか動けないようにして線路上に置いたというのであろうか。だが、それなら下山総裁が朝から車を降りて行方をくらます必要はないであろう。わざわざ、あやしげな旅館で休憩までする必要がどこにあったのであろうか。夕方、仕事が終わってから行方をくらませばよかっただろう。

また、現場までやってきた下山総裁を、今度は人目がないタイミングで殺害するか、動けないようにして線路上に放置しなければならない。だとすれば、遺体には生体反応のある傷跡が残っているはずであろう。遺体に痕跡が残らないように、ごく短時間で殺害したり動けないようにしたりするなど、アクション映画かミステリードラマの世界でもなければあり得ないのである。

そもそも殺害するなら、わざわざ人目につきやすい東京の郊外で行う必要などないのである。どこか屋内で殺害して、もっと人目のない郊外の線路上に放置しておけば済む話なのである。

ウ 目撃証言

繰り返しになるが、警視庁捜査1課の聞き取り調査では、乗用車を降りてから轢断現場まで、単独で行動している下山総裁と思われる目撃情報が、つながっているのだ。途中、やや好ましくない営業を行っている旅館で、休憩までしているのである。

この旅館は、男女のペアで利用することの多い施設で、あまり高級なものではなかった。そこへ、下山総裁のように高級な背広を着ている男性が一人で休憩したとなれば、いやでも目立つであろう。旅館の女将の記憶にも強く残ったはずである。

長時間、単独で歩き回っていたとなると、やはり自殺としか思えない。これについて、他殺説からは、目撃された下山総裁とされる人物は、替え玉だったと主張されることが多い。矢田氏の「謀殺下山事件」や松本清張氏の「日本の黒い霧」でもそのように主張されている。だが、替え玉だったとすれば、旅館などで休憩するのは、あまりにも危険な行為であろう。

しかも、そもそも替え玉など使う必要はないのである。もし、G2のウイロビーが、下山総裁殺害の犯人が労組だと国民に思わせたいのであれば、替え玉を使うことなど、有害無益である。自殺だと思わせるための工作などする必要はない。逆に、労組の犯行だという証拠を捏造すればよいのである。

エ 他殺説の怪しさ

また、他殺説の挙げる根拠には、かなり怪しげな内容が含まれている。"死後轢断"についてはすでに述べたが、納得できるような根拠がほとんどといってよいほどないのである。

(ア)替え玉説

繰返し記述したことではあるが、他殺説を主張する人々は、替え玉説を主張している。矢田氏の「謀殺・下山事件」には、やや話が出来過ぎていると思えるところがかなりあるが、そのひとつに"替え玉"を目撃した通行人が矢田氏の取材に対して、"目撃した人物は、下山総裁の靴を履いていたが、別人だった"という趣旨の証言をしたという部分がある。どう考えてもこれは不自然であろう。いくら、挙動不審な人物だったにせよ、たんに見かけただけの人物がどんな靴を履いていたかを明確に覚えていたなどということがあるとは思えないのである。

そもそも"替え玉"説まで出さなければならないほど、下山総裁が単独で行動していたことを示す目撃証言が多いということではなかろうか。

(イ)線路上の血痕

矢田氏は、古畑博士の助言を受けてのことらしいのだが、轢断地点から列車が進行してきた方向へ向けて、枕木上のルミノール反応(血液反応)を調べている。夜間に、枕木にルミノール液を噴霧すると、点々とルミノール反応が現れたのだ。そして、「謀殺・下山事件」は、古畑博士が血痕の血液型を調べたところ、そのすべてが下山総裁のものと一致したとしている。

矢田氏は、轢断地点から列車が進行した方向にルミノール反応が現れるなら分かるが、現場に向かって列車が進行してくる方向に現れるのは不自然だという。つまり、誰かが下山総裁の遺体をその方向から運んだために、運搬中に遺体から血液が垂れたに違いないというのである。

しかし、ルミノール反応はかなり古い血痕にも反応する。当時の列車のトイレは垂れ流し式であり、枕木にルミノール反応が出るのは不思議でも何でもない。むしろ、発見された血痕のすべてについて血液型が判明し、そのすべてが下山総裁の血液型と一致したということの方がきわめて不自然である。

ここで思い出すのが島田事件の古畑博士による血液型鑑定である。島田事件が冤罪だとされた理由の一つは、古畑博士の血液型鑑定が否定されたからなのだ。また、免田事件の鉈の血液型鑑定や、財田川事件の血液型鑑定など、当時の血液型鑑定は必ずしも信用のできるものではなかったのである。

また、矢田氏の見つけた血痕は、かなりの距離に渡って左右にばらついて付着している。すなわち、下山氏の遺体から垂れたとすると、遺体を運搬した者たちは、かなりの距離を左右に動きながら移動したことになる。なんのために左右に動いたのかはともかく、列車の通過する間隔で遺体を運搬できるような距離ではないということが、当時の捜査当局による実験によっても確認されている。

いったい誰が、なんの目的で、必ずしも人通りがないとは言えない場所の線路上で、かなり距離に渡って遺体を運んだというのであろうか。運ぶまでもなく、元の場所に置いておけばよいことであろう。

きわめて怪しげというよりほかはなく、とうてい他殺の根拠になるとは思えないのである。

(ウ)その他

また、詳細な説明は佐藤氏の「下山事件全研究」に譲るが、下山氏の靴に付着していた緑色の色素や、ポケットに入っていた染料の粉、衣服に付着していた油など、松本清張氏が様々な推理をしておられるが、いずれも佐藤氏によって完璧に論破されている。

そして、佐藤氏の論拠に有効に反論している他殺説の論拠というものを見たことがないのである。数年前には他殺説の立場から、柴田哲孝「下山事件最後の証言」、森達也「下山事件(シモヤマ・ケース)」が出版されている。しかし、いずれも伝聞や憶測のみからなっており、一次証拠といえるような内容は含まれていないのだ。

オ 殺害を行う主体が考えられない

(ア)単独又は少数グループでは犯行はできない

下山事件の直後に発生した、国鉄を舞台とした三鷹事件と松川事件には犯人がいたはずである。実を言えば、三鷹事件の電車は、過去に同型の電車が暴走事故を起こして車庫のガレージに激突するという事故が起きたことがある。つまり、誰も操作しなくても暴走することがあったのだ。そのため最初は、事故だとも思われたのである。

しかし、三鷹事件のときはマスコン(自動車でいえばアクセルの役割を果たすハンドル)がわざわざ紐で縛ってあった。すなわち事故ではなく、意図的な事故だという証拠が残っていたのである。

三鷹事件は竹内景助の単独犯行とされ、松川事件は最高裁で全被告の無罪が確定した(※)。しかし、三鷹事件について、竹内は最後まで無罪であると主張していた。松川事件にしてもレールを外した真犯人が他にいるはずである。

※ 一部の被告は高裁で無罪が確定している。

であれば、下山事件も同一犯が真犯人ではないか、あるいは同種の犯人がいるのではないかと思われるかもしれない。しかし、そのように考えるのは早計のように思える。

というのは、三鷹事件にしても松川事件にしても、犯罪の態様はかなり単純なものである。松川事件など、レールを外しただけであるから、その気になれば単独犯でも可能であろう。ことによると、政治的な背景などなく、レールを盗んで屑鉄として売ろうとした者の犯行かもしれないのである。

しかし、下山事件に仮に犯人がいるとすれば、単独ではあり得ない。下山総裁は、少なくとも出社途上に自らの意思で車から降りているのだ。それも国鉄本社で会議があるにもかかわらずである。もし犯人がいるとすれば、多忙な下山総裁が、誰にも行く先を告げずに自ら会いに行くような人物でなければならない。下山総裁が個人で国鉄労組内に自ら送り込んだスパイでもいたというならともかく、たんなる情報屋にできることではない。

そして、総裁ともあろうものが、個人的に労組内に自らスパイを送り込むなど、現実には考えにくいのである。

また、下山総裁を人目に付かない場所まで来させ、誘拐して丸一日監禁しておき、痕跡が残らないように殺害し、現場へ運んで遺体を線路上に横たえるとなると、かなりの人数が必要になる。すなわち、個人や少数のグループによる犯罪とは考えにくくなるのである。

では、そのようなことをする組織として、どのようなものが考えられるであろうか。

(イ)米軍には下山総裁を殺害する利益はない

まず、米軍についていえば下山総裁を殺害する必要などあるまい。そのような米本国で世論の批判を受けかねないリスクのあることをするまでもなく、整理解雇を行わせることは可能な状況だったのである。若干の遅延はあったものの、国鉄は整理解雇に向かって必要な作業を行っていたのである。

また、仮に整理解雇ができなかったとしても、当時の労組は占領軍に対して抵抗を行うようなことはなかった。2.1ゼネストの際も、占領軍の占領列車は動かすことにしていたし、電話回線も確保しようとしていたのである。

一方、いくらかつての敵国で占領の相手国とはいえ、謀略を用いて殺人を行ったとなれば、米国における世論が占領政策を批判する可能性は低くないといえよう。そのリスクと利益(整理解雇の必要性)を秤にかけた場合、合理的に考えれば、このような殺人事件を引き起こすとは考えにくいのである。

(ウ)日本政府や日本の右翼も下山総裁を殺害する利益はない

下山総裁は、佐藤栄作氏など政府の幹部にも個人的な知り合いがいるのである。いかに「戦時中の殺伐とした雰囲気」の抜けきっていない戦後の混乱期とはいえ、そのような人物を殺害するような集団が政府内にいるとは思えないのだ。日本国政府は、戦前の右翼や大陸浪人ではないのである。

一方、その右翼組織についても、下山総裁を殺害するような集団があるとは思えない。殺害するなら労組幹部を狙うだろう。確かに、戦前には、大陸浪人や軍の一部が、中国人が殺害したように見せかけて日本人の僧侶や軍人を殺害し、日中間の戦争を引き起こそうとしたとされる事件も発生している。

しかし、当時の右翼組織が、国鉄のトップを殺害してまで、国鉄の大量解雇を有利にしようとするなどとは到底思えないのである。

(エ)国鉄労組が下山総裁を殺害するとは思えない

まして、国鉄労組が下山総裁個人を殺害するわけもない。国鉄労組が組織としてそのような犯行を行うなどとは考えられないのである。労使の対立は、内戦や叛乱などの戦闘行為とは違うのだ。相手側の責任者を殺害しても、なにも利益になることなどないのである。使用者側と戦うのであれば、ストライキという効果的な方法がある。殺人などという犯罪行為を行う必要などまったくないのである。

一部の跳ね上がりによる犯行ということは絶対にあり得ないとはいえないかもしれないが、それなら下山事件のような、組織的でかつ計画的に行わなければできないような方法では行わないだろう。


4 なぜ他殺説が信じられるのか

(1)なぜジャーナリストたちは他殺だと信じたのか

では、どうみても自殺としか思えないこの事件が、なぜ他殺だと信じられたのであろうか。古畑博士と矢田氏は、下山総裁が自殺だと思っていたにもかかわらず、これを国鉄労組の犯行であると国民に信じさせようとしたというわけではないようだ。その後の経緯を見ると、古畑博士はともかくとして、矢田氏に関しては単純に他殺だと信じていただけのようである。

後に、革新の側が下山総裁他殺説を主張するようになると、矢田氏はあっさりと宗旨を変えて革新の側と結びついた。すなわち矢田氏の政治的な立場が絶対的に反労組というわけではないようなのだ。矢田氏が亡くなった後、下山事件の一連の資料を引き継いだ共同通信社の斎藤茂男氏も1999年に亡くなるまで下山総裁は他殺だと信じておられたようである。しかし、斎藤氏の政治的な立場は、どちらかといえば親労組的だとみられている。おそらく松本清張氏らと同様に、GHQのG2の犯行と思っておられたのだろう。

しかし、矢田氏も斎藤氏も他殺だという確たる証拠がないことは、お分かりになっていたはずだ。だからこそ、斎藤氏は下山事件について、"真実"を追い求めておられたのである(※)

※ 斎藤茂男「夢追い人よ」(築地書館 1989 年)

そして、これは森達也氏の「下山事件(シモヤマ・ケース)」からも同様な印象を受ける。森氏の下山事件に対する強い意識は伝わってくるのだが、同書には客観的な証拠は何一つ示されていないのだ。

失礼ながら、矢田氏、斎藤氏、森氏のいずれの著書を読んでも、合理的な証拠によって総合的に判断するというのではなく、ひとつの思い込みがあって、その結論へ向けてありとあらゆる証拠を、無理やりに解釈しているという印象を受けるのである(※)

※ 斎藤氏も森氏も下山事件が他殺だとは言い切っていないが、お二人の著書を読んで下山総裁は他殺だと考えるようになった国民は多いのである。

先述したが、替え玉説などその最たるものであろう。他殺ありきで、下山総裁の目撃情報を説明しようとすると、"替え玉"でも持ち出すしかないのであろう。しかし、こんなことまで言い出すのでは、自殺のどんな証拠を示されても、他殺に結びつけてしまうことができるだろう。これは科学的な態度とは言えまい。

斎藤氏にしても森氏にしても、政治的な立場からは様々な評価があるとは思うが、労働問題や死刑問題などで、すぐれたルポタージュを著しておられると思える。だからこそ、下山事件に対するこのような態度は、ジャーナリストとして残念な態度だと思えるのである。

そして、その後も他殺説からの書籍がいくつか著されている。これらの著書を読んで他殺だと信じられる方もおられるようだ。しかし、公平に見て、これらの著書は、自殺説を覆すほどの証拠を示すことはできていないといってよいと思う。というより伝聞や憶測以外に他殺の根拠を何一つ示していないのである。まず"他殺ありき"で、そこへ向けた"証拠らしきもの"を寄せ集めて、他殺を仄めかしているに過ぎないのである。

これらの著者が下山白書や佐藤氏の著作を読んでいないなどということはないだろう。錫谷氏の著作の方は前2者ほどには有名にならなかったし、現時点ではおそらく絶版になっていると思うが、WEBで検索すればその存在はいくらでもヒットする。ところが、これらの自殺説の証拠についてなんの言及をすることもなく、憶測だけで他殺を仄めかしているのである。

そのような"結論ありき"のジャーナリストの報道や著書によって、国民世論が形成されるとすれば、このような報道こそフェイクニュースというべきではあるまいか。


(2)不確かな証拠による国民意識の形成

すでに述べたように、事件直後の報道機関、警視庁内部、法医学者は、自殺説と他殺説に分かれていた。そして、いずれの立場も、お互いを納得させるだけの証拠を示すことはできなかったのである。

だとすれば、専門家を除く一般の国民にとっては、接することができる当時の情報は"自他殺の別は不明"ということになるはずだ。にもかかわらず、少なくない国民が、自殺又は他殺のいずれかだと信じたのである。

なお、今の時点になって思えば、三鷹事件についての慶応大学法医学教室の見解が示されたり、1950 年に警視庁捜査一課の捜査結果が「下山事件捜査報告書(下山白書)」として"文言春秋"と"改造"に報じられたりした(※)時点で、国民の得られる情報によってもほぼ自殺であることは明らかになったといえよう。

※ もっとも、矢田氏はこれをフィクションだとして否定している。しかし、内容は詳細にわたっており、フィクションといえるようなものではない。また、1970 年には捜査一課の刑事であった関口由三氏が「真実を追う」として、捜査結果から下山総裁を自殺だとしている。

さらに自殺説を決定的にしたのが、前述した佐藤氏の「下山事件全研究」と錫谷氏の「死の法医学 下山事件再考」である。とりわけ佐藤氏の著書は、それまでの他殺説で主張された他殺説からのさまざまな"証拠"を完全に否定する内容であるといえよう。

にもかかわらず、なぜ他殺説が信じられていたのだろうか。私には、以下のようなことが理由だったのではないかと思える。

  • ① 国民は、新聞やラジオ、テレビなどの報道によって、そこから受ける"印象"によって客観的な事実関係を判断しているのではないか。
  •   当然のことではあるが、新聞などの時事の報道は、その時点で判明したことを記事にするのである。最近では改善されつつあるが、どうしても過去の経緯や時系列的な解説を記事にすることの優先順位は落ちるだろう。そのため、当初の"死後轢断"というインパクトがあまりにも強く、そこから他殺との印象を受けると、よほどその後の経緯をきちんと調べない限り、他殺との印象から抜けきることができないのではなかろうか。
  • ② 自らの政治的な立場に近い専門家が、自殺又は他殺と主張しているため、これを単純に信じているのではないか。

もちろん、下山総裁が自殺だったか他殺だったかは歴史的なひとつの事実であり、科学的に判断されるべきものである。そこに政治的な立場が入り込む余地はない。下山総裁の死が政治的に利用をされたということと、自他殺の別とは、全く別な次元の話なのである。ところが、残念ながら、人間というものは政治的・宗教的な立場によって、科学的に評価すべき事実関係を、判断しようとすることがあるものなのだ。


(3)GHQ による他殺説の利用

私見だが、下山総裁が亡くなった時点では、国鉄当局も、これを労組による犯行だというフレームアップに積極的に利用しようとは考えなかったのではないかと思う。

しかし、GHQ が自殺であるとの警視庁の発表を禁止した以降は、加賀山氏を中心にこれを大量解雇に利用しようとしたようだ。加賀山氏は他殺だと考えていて、フレームアップという意識はなかったのかもしれないが、結果として下山総裁の死を政治的に利用したといっても間違いとはいえないだろう。

三鷹事件と松川事件では、国鉄の労組関係者の逮捕者を出し、最高裁まで争われたが、三鷹事件は竹内景助の単独犯行とされ(※)、松川事件は全被告の無罪が確定したことは前述したとおりである。とりわけ三鷹事件について最高裁は検察の主張を"空中楼閣"という強い言葉を用いて退けている。これらの2つの事件は、確かにフレームアップといわれてもしかたがないであろう。

※ 繰り返すが、竹内景助は判決後も事実関係を認めておらず、獄死するまで再審請求で争っている。

そして、この2事件は、真犯人は明確になっていないにせよ、誰かが犯した事件であることは間違いなく、かつ反政府的な立場の人々が容疑者となる冤罪事件を出したということは厳たる事実なのである。

一方、下山事件は政治利用が行われたという意味では"謀略"という批判も可能かもしれないが、冤罪事件も出しておらず、また誰かが実行した犯罪事件とも思えないのである。

それらの意味では、三鷹事件、松川事件の2事件と下山事件とは、質的に異なるものというべきであろう。

GHQにしても、どこまでこの事件を政治的に利用しようと思ったかは分からない。たんに、国民の少なくない部分が、国鉄労組による他殺という印象を持っていると感じ、であればわざわざ日本政府が"自殺である"と発表するようなことをさせることはないと思って、警視庁に対して捜査一課の公表をやめるよう圧力をかけたということかもしれない。

確かに、GHQ は、下山事件を利用して国民の世論を積極的に操作するようなことは、ほとんどしていない。政府や国鉄の高官が個人的に、国鉄労組の犯罪であるかのような発言をすることはあったが、組織的に国鉄労組に対して罪をなすりつけるようなことはしていないといってよいであろう。

どちらかといえば、国鉄労組の犯罪であるかのような印象を、国民に対して与えたのは、意図していたかどうかは別にして、東大法医学教室と朝日新聞の2者だといえよう。

しかしながら、GHQが自殺説の確たる証拠を、国民の眼から隠そうとした事実は存在している。このことによって、GHQは、自ら下山事件の謀略の当事者の立場に、自ら立つことになったのだ。

国民は、朝日新聞の記事で、"死後轢断"、"轢断現場への列車の進行方向に存在する血痕"などの"他殺の証拠"に接している。一方、自殺説の根拠については、公表を差し止められたために接することはなかったのだ。

これでは他殺説を信じるなという方が無理であろう。国民に対して


5 最後に

(1)"政治的に正しいから事実だ"と考えることは誤りである

ある事実関係について、それが政治的に正しいと思えることと、その事実関係が真実かどうかとは別問題だということは誰にでも分かっている。政治的な立場によって、ある歴史的な事実関係の評価を変えるというのは、科学的な態度とは言えない。しかし、私自身の経験では、このような考え方がされないことの方が実は多いのではないかと思えるのだ。

下山事件は、自殺か他殺かという"事実関係"について、政治的な立場によって評価が分かれていたのである。しかしこのようなことは、我が国だけの現象ではない。世界的にみても様々な事件について"政治的な立場"と"事実関係についての評価"は結びついているのである。

また、下山事件と同様、戦後の混乱期におきた"帝銀事件"についても、同様なことがいえるかもしれない。なお、この事件には疑問点も多いが、ここで平沢が有罪なのか冤罪なのかを議論するつもりはない。

問題は、少なくない人々が、その政治的な立場によって冤罪なのか有罪なのかのいずれか一方の証拠しか見ないということなのだ。自らの"信念"と異なる証拠は、見ることや調べることさえ嫌がるのだ。だが、これでは、真実からは遠ざかるだけであろう。


(2)様々な説が示す"根拠"を読んで自ら考えること

ア 下山事件の情報が提供された経緯

下山事件については、自殺説、他殺説の双方から様々な"根拠(証拠)"が示されている。ここで、繰り返しになるが、下山事件の情報がどのように国民に提供されたかをもう一度振り返ってみよう。

他殺説側の最初の根拠は、古畑博士による"死後轢断"であろう。"死後轢断"という言葉のインパクトは大きく、ほとんどの国民が下山総裁は他殺だと思い込んだ。そして、そのうちの少なくないものが、あまり深く考えることなく、国鉄労組が下山総裁を殺害したと信じたようだ。

だが、東大法医学教室の出した"死後轢断"の鑑定は、三鷹事件の慶応大学法医学教室の鑑定の時点ですでに疑問が出されている。すなわち、この時点で他殺説は確実ではなくなったのである。

そして、"下山白書"が出された時点で、自殺説の可能性が高まったと言えよう。行方不明となった場所から轢断現場まで、下山総裁が単独で移動していたことが、目撃者の証言によってほぼ明らかになったからである。

ところが、次に松本清張氏の日本の黒い霧が著されて、下山白書に示された下山総裁の目撃情報は"替え玉"によるという説が示される。実を言えば、日本の黒い霧をよく読んでも、ほとんど証拠らしいものは示されておらず、憶測にすぎないのである。ところが、少なくない国民は下山総裁が他殺だと信じたのである。

その後、さらに多くのジャーナリストや法医学者、評論家などが自他殺両面からさまざまな説を公表するのである。

イ 情報をどのように読み解くか

現代は、まさに情報があふれているのである。ところが、これらもよく読めば、たんなる憶測に近いものや、伝聞にすぎないもの、あまりにも非科学的なものがかなり含まれていることが分かる。

ひとつの例に、下山総裁の靴底に付着していた緑色の物質のことがある。松本氏はこの物質について、想像をたくましくして様々な推論を行っている。しかし、自殺説の側から下山総裁が草原を歩いたために葉緑素が付着しただけではないかという疑問が出された。すると、他殺説の側は、靴で踏んだ程度では葉緑素は抽出できないと反論したのである。確かに、靴で踏んだ程度では、純粋な葉緑素は抽出できないであろう。だが、これに対して、佐藤氏は葉緑素を含んだ草汁なら簡単に靴底に付着すると反論している。

実際には、靴底の緑色の物質について、自殺説、他殺説それぞれの側が示した"根拠"は、もう少し詳細であるが、本質的な部分は以上の通りである。要は、靴底の緑色の物質は草汁で説明がつくということである。すなわち、両側の説を詳細に読むことによって、どちらの側がフェイクなのかは分かる場合が多いのだ。

下山事件に限らず、2つの相いれない主張があった場合、その双方の主張を読み比べることは重要である。片方が、物証を示したり、証言を示したりしているときに、もう一方の側がそれにまったく答えておらず、議論が成立していないような場合、これはどちらが正しいかは明瞭であろう。

まして、この事件が国鉄労組の犯行だなどという証拠はどこにもなかったのである。大量解雇の当事者だから、相手側に殺害されたと思い込んだのかもしれないが、これこそ根拠のないフェイクそのものであるといえよう。