責任に向き合わない東電


2021年3月11日に、東電の社長が福島へ行かなかったばかりか地元紙の取材さえ拒否したという。

重大な事故を起こしておきながら、その責任に向い合わないなら、そのような企業は再び同種の事故を起こすでしょう。

この問題の闇に迫ります。




1 福島から遠く離れた沖縄の報道

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筆者:平児

沖縄タイムズに唖然とするような記事が載っている。3月11日に、東電の社長が福島へ行かず、そればかりか地元紙の取材を拒否したというのだ。

これは驚くべきことである。福島第一事故は世界史に残る大事件なのだ。世界3大原子力発電事故のひとつであり、その後の(日本政府以外の)各国政府の原子力政策を大きく変えたばかりか、福島県民に塗炭の苦しみを与えたのである。

しかも、それは不可抗力ではなかった。東電がまともなリスク管理を行っていれば防げた事故なのである(※)

※ 「実務家のための産業保健」サイトの「福島第一原発事故に学ぶ危機管理の失敗例」を参照されたい

にもかかわらず、被害者の取材を、最高責任者である東電の社長が拒否するのである。これは、東電があの事故について責任を感じていないこと、事故と向き合ってその再発を真剣に防止しようとしていないことを意味する。



2 東電は、再び原子力事故を引き起こすのではないか

あれだけの事故を起こしておきながら、東電の最高責任者である社長が、事故10年という節目に、現場を訪れようともしなくなったばかりか、被害者の取材にさえ応じないのである。これはどういうことなのだろう。

あの事故について、真摯な反省もなければ、事故の経験を活かして今後の事故防止の教訓にしようという意識もないことを示していると言わざるを得ないのではないだろうか。

だとすると、2019年9月の東電幹部への無罪判決=不当判決によって、東電は、自分たちは正しかったと思い始めたのではないだろうか。あの判決が、東電の無責任な体質をさらに強化したというように思えるのである。

そして、それは我が国の原子力発電の事故リスクを高めたのではないのだろうか。



3 東電から国民の安全を取り戻そう!

事故が発生した直後の、東電の無能・無責任ぶりは目を覆うものがあった。彼らの無能ぶりが、官邸を激怒させることになり、そうすると東電はこれを奇貨として事故の対応もまずさをの責任が官邸にあるかのごとき宣伝を行うのである。「Fukushima50」などという、低劣な政治宣伝映画もそのひとつの例と言えよう。

※ なおLITERA「地上波初放送 映画『Fukushima50』の事実歪曲とミスリード 門田隆将の原作よりひどい事故責任スリカエ、東電批判の甘さの理由」を参照されたい

こんな企業に原子力発電をまかせていてはならない。このような体質の企業に、原子力発電をまかせておくことの危険性は極めて大きいものがある。今こそ、国民の安全を、東電から取り戻さねばならない。