表現の不自由展への抑圧


愛知県の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」における「表現の不自由展・その後」がわずか3日で中止に追い込まれました。

これは展示内容に反対する立場の河村名古屋市長や自民党政府からの圧力によるものです。我が国の民主主義と言論の自由にとって重大な問題です。




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筆者:柳川行雄


(1)「表現の不自由展・その後」が中止に

ア 「表現の不自由展・その後」が中止

愛知県でこの8月1日から始まった国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」における、「表現の不自由展・その後」がわずか3日で中止となった。

その背景となった理由のひとつは、皮肉にも表現に対する現行政府の圧力があったのである。東京新聞の望月衣塑子記者は「ブラックジョーク」と皮肉った。

イ 政府と名古屋市長が圧力

(ア)菅官房長が「適切に対応していきたい」と発言

その前日の8月2日に、菅官房長官が記者会見で、韓国の慰安婦像をモチーフにした展示物や昭和天皇の写真が燃えている作品が展示されていることに関して、「補助金の交付決定では事実関係を確認、精査したうえで適切に対応していきたい」(※)と圧力をかけるような発言をしていたのである。

※ NHK NEWS WEB 2019年08月02日記事「芸術祭に慰安婦問題象徴の少女像 補助金を慎重検討 官房長官」による。

(イ)河村名古屋市長が抗議

また、同日、名古屋市の河村たかし市長は、慰安婦像をモチーフにした展示物について、「どう考えても日本人の心を踏みにじるものだ。即刻中止していただきたい」と、「展示中止を含めた適切な対応」を愛知県知事に対して申し入れたと明らかにした。

その一方で、インターネットにおける批判や、主催者側への抗議については、「それこそ表現の自由じゃないですか。自分の思ったことを堂々と言えばいい」(※)と述べたとされる。

※ 朝日新聞DIGITAL 2019年08月02日記事「少女像展示『中止を』 河村市長が知事に申し入れへ」による。

(ウ)河村市長が擁護する、主催者側への抗議とは

この河村名古屋市長が「それこそ表現の自由」だと擁護する主催者側への抗議とはどのようなものだろうか。

大村愛知県知事によれば、「テロ予告や脅迫の電話等もあり」、「撤去をしなければガソリン携行缶を持ってお邪魔するというファクスもあった」(※)という。

※ 朝日新聞DIGITAL 2019年08月02日記事「『撤去しなければガソリンの脅迫も』企画展中止に知事」による。

ガソリン携行缶というのは、京アニに対する卑劣な放火殺人行為を念頭に置いているものであろう(※)。このような抗議活動は、表現の自由の範囲を逸脱した犯罪行為と言ってよいだろう。刑法の脅迫行為や業務妨害に該当する可能性が高いのではなかろうか。

※ また、このような脅迫行為を行った人は、他人の思想が自分と異なっている場合には、その他人に対して、京アニに対する放火殺人のような行為を行うことを是認しているのであろう。

河村市長は、「韓国の慰安婦像をモチーフにした展示物」の表現の自由は許されないが、「テロ予告や脅迫の電話等」は表現の自由だとお考えのようである。これは、政治家としてではなく、公人の発言として行われたという意味で看過できないものがある。


(2)中止の理由は

中止の理由として愛知県知事が挙げた理由は、「これ以上、(抗議などが)エスカレートすると、安心して楽しくご覧になってもらうことが難しいと危惧。円滑な運営を考えた」(※)というものである。

同知事によれば「こうした卑劣な非人道的なFAX、メール、恫喝(どうかつ)・脅迫の電話等で、事務局がまひしているのも事実」というのであるから、知事の言うことは確かに理解できなくもない。

※ 朝日新聞DIGITAL 2019年08月03日記事「大村知事一問一答『行政がコミット、芸術祭でなくなる』」による。

また、河村名古屋市長が、事務局への抗議について、「それこそ表現の自由じゃないですか。自分の思ったことを堂々と言えばいい」と奨励するかのごとき発言をしているのであるから、なおさらであろう。

しかしながら、菅官房長官の圧力や、河村名古屋市長が「表現の自由」だとする脅迫等に屈して、表現の自由が抑圧される現状が正しいとは思えない。


2 「表現の不自由展・その後」の中止は正しい判断か

(1)表現の自由の抑圧には、どのような理由を付けられるか

ところで、我が国を含むどのような国家においても、公的機関が表現の自由を抑圧する場合、その理由が自分たちにとって都合の悪い表現を抑圧することにあることは共通している。

だが、我が国においては、さすがに、政府にとって都合の悪い思想を禁圧するのだと公然とは言えない。そこまでは、我が国の国民や少なくない報道機関による監視の目は衰えていない。

そこで、我が国の公的機関は、「中立性に疑問がある」と「抗議行為によって平穏な市民生活が損なわれる」という2点を、思想抑圧の理由として挙げるのである。


(2)中立性のない表現に公的機関は関われないのか

しかしながら、資力を有しない一般の市民が表現の自由を実現しようとすれば、公的機関の施設・設備を活用せざるを得ない場合もあろう。一切の中立性に欠ける思想信条の発表について、公的機関の施設・設備を活用することが許されないとすれば、かえって民主主義の実現を損なうこととなるのである。

様々な思想・信条の発信の場を保障することによってこそ、民主主義は発展するのであり、また、そのような国家こそが、活力を有し、発展してゆけるのである。中立性を損なう思想・信条の発信について、ヘイトなどは別にして、すべての市民にその機会の場を与えることはむしろ好ましいことなのだ(※)

※ 憲法9条に関するデモに関する俳句を、公民館が「公民館だより」に載せなかったことについて争われた訴訟で、さいたま地裁は、表現の自由の侵害は認めなかったものの、被告の公民館が掲載しない理由を十分検討していなかったとして、5万円の慰謝料を支払うよう命じている。

そもそも思想・信条などというものは、中立性がないものなのである。また、仮に中立な思想・信条などというものが存在していれば、誰もそのようなものを抑圧しようとはしないであろうから、思想・信条の自由の保障などという必要もないのである。

むしろ、中立性のない思想・信条、とりわけ政府や公的機関にとって都合の悪い思想・信条こそ、その発言の場を保障される必要があるのだ。そうしなければ、政府は腐ってゆくこととなる。そして、それは国家の利益に反するのである(※)

※ このことを我が国保守層はもっと理解するべきだろう。


(3)抗議行為によって平穏な市民生活が損なわれるのは本当か

今回もまた、抗議行動によって市民(この場合は一般の参加者)の安全が確保できないことが、企画展の中止の理由とされている。確かに、愛知県知事のその言葉には嘘はないのかもしれない。

しかしながら、その前日にこの企画展に菅官房長官が表現の内容について判断して圧力を加えるような発言をしていること、河村名古屋市長に至っては明確にその表現の内容について抗議をしていることも事実なのである。

そして、我が国の警察組織の有能さを考えれば、わずか数百通の脅迫によって市民の安全が確保できないなどとは考え難いのではなかろうか。会場は建物の中であり、警護はそれほど困難ではないだろう。

むしろ、今回の「表現の不自由展・その後」は、菅官房長官や河村市長らの圧力よって中止に追い込まれたとのではないかと思われるのである。そうだとすれば、これは我が国の民主主義にとって重大な問題である。


(4)自民党憲法改正草案の先取りか

ここで思い出されるのが、自民党憲法改正草案(平成24年4月27日)である。この草案において、表現の自由について定めた第21条に、第2項として(※)「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」という条文が追加されているのである。

※ 現行の第2項が第3項となる。

今回の「表現の不自由展・その後」への弾圧事件は、まさにこの憲法草案を先取りしたものといえよう。安倍政権は、この事件からも分かるように、我が国の言論の自由を抑圧しようとしているのである。


(5)企画展中止は間違った判断である

先述したように、愛知県知事は、脅迫等を受けたために市民の安全が確保できないことを理由に挙げて中止を決めた。だが、仮にそれが事実であるとしても、それは誤った判断であると言わざるを得ない。

企画展を中止することは、脅迫行為を行った人々に対して、脅迫を行えば無理が通るという誤ったメッセージを与えることとなる。まさに、言論の自由を脅迫行為で抑圧できるという、風潮を世の中に醸し出してしまったのである。残念なことに、これが最初の前例というわけではないが、またひとつ付け加えてしまったのである。

河村市長が、脅迫行為を容認するがごとき発言をしていることはさらに許せないが、これを中止した愛知県知事の判断もまた、このような脅迫行為を容認することになるのである。

渋谷のハロウインで騒擾行為を行った若者の逮捕ではきわめて有能だった警察組織が、今回の脅迫行為(※)に対してどの程度の有能ぶりを見せてくれるかは分からないが、もしこれが放任されるようなら、我が国の民主主義は瀕死の状況だと言うしかないだろう。

※ 少なくとも捜査は行われるだろう。

なんとしてでも、この企画展は続けるべきであった。中止にしたのは我が国の言論の自由と民主主義を守るという意味からは、誤りであると言わざるを得ないだろう。


3 最後に

(1)少女像を否定することこそ日本の利益を損なう

河村名古屋市長は、今回の企画展での少女像をモチーフにした展示物について「どう考えても日本人の心を踏みにじるものだ。即刻中止していただきたい」(※)と述べたとされる。冗談ではない。この河村市長の発言こそ日本人の心を踏みにじるものだ。まさに、河村市長は、従軍慰安婦を行った旧日本軍の行為を容認するものだからである。

※ 朝日新聞DIGITAL 2019年08月02日記事「少女像展示『中止を』 河村市長が知事に申し入れへ」による。

むしろ、企画展を行った側の行為こそ、旧日本軍の行った犯罪行為を現在の日本人が肯定していないことを示している。我が国の現在の国民は、旧日本軍が行った韓国の女性たちに対する犯罪行為を許していないということをはっきりと宣言することこそ、我が国の国民の心に副うものだというべきであろう。


(2)中止に対する批判の動き

「表現の不自由展・その後」に対する菅官房長官や河村市長による弾圧事件は、日本国内でも多くの批判を読んでいる。

日本ペンクラブは8月3日に批判声明を出した。その他、日本共産党の愛知県委員会社会民主党の福島議員ジャーナリストの青木理さん東京新聞の望月衣塑子記者国際人権NGOヒューマンライツ・ナウの伊藤和子弁護士など多くの人々が、WEB上で批判を行っている。

このような批判が行われることは、まだ我が国の民主主義が完全には死んでいないことを示している。だが、今回の弾圧事件では、官房長官の立場にある人物が、国民の思想信条の内容について、圧力を公然と加えるようなことができるほどになってきたのである。


(3)我が国の健全な発展のために、今できることを

民主主義が死ねば、国家の利益は大きく損なわれるのである。国家の経済社会が健全な発展をしてゆくためには、なによりも言論の自由が不可欠なのである。

言論の自由がなくなれば何が起きるか。それは、我が国の歴史、世界の歴史が証明している。今回の弾圧事件は、まさにその軍国主義の歴史を肯定する立場から行われた。そのことがなにかの象徴のように思われる。

安倍総理は、南京虐殺を否定したがっている。これはドイツで言えばホロコーストを否定するようなものである。このような立場から今回の事件は起きたのである。これは、国際社会に対して、我が国が軍国主義復活の危険を有していることを示したものと言えよう。

わが国を愛する気持ちがあるなら、安倍政権の暴走をこのまま許していてはならない。幼稚な安倍総理の行動を許し続けることは、我が国の国益を大きく損なうこととなるだろう。