独力での大学進学は可能か


筆者は、経済的な理由から中学を卒業して就職し、独力で通信制高校と、中間の大学、大学院(博士前期)を修了しました。

時代が変わった現在、経済的な理由で親の援助が得られない若者が自力で大学へ進学することが可能なのかを考察します。




1 朝日新聞の記事

執筆日時:

最終修正:

筆者:柳川行雄

2015年のある朝日新聞の記事を見て、何かいいようのない感情が沸き起こってきた。子供と貧困シリーズの一環の記事のひとつ、「風俗で働くある短大生の記事」だ。残念ながら現在では有料会員限定記事となっているので会員にならなければ読むことはできない(※)。この記事によると、この短大生は「嫌だったが、お金が欲しかった。『貧乏なのに進学した罰』だと思った」とある。

※ 関連記事として「貧乏なのに進学した罰…〝30秒で泣ける漫画〟の作者が描く貧困問題」が朝日新聞の関連サイトである「ウニュWith News」にアップされている。

同情などは感じなかった。そうではなくて、うまく言い表せないが、何かに対する激しい怒りと、この女性に対する一種の連帯感のようなものを感じたのだ。そして同時に、私自身の過去を思い出した。もっとも、定年を過ぎた男に連帯感を感じたなどと言われると、この記事の女性が気味悪く思うかもしれないので、これ以上はこの記事には触れない。しかし、私もまた「貧乏なのに進学した」一人である。さすがに男の私は風俗では働かなかったが・・・

本稿は、この記事に触発されて書いたものである。当初は、「実務家のための労働安全衛生のサイト」にアップし、私自身の経験の部分が前半におかれていたが、やや長すぎると思われたため、この部分を分離させて、最近の進学をめぐる状況のみの内容とした。なお、分離させた文章は、修正の上で「実務家のための労働安全衛生のサイト」の「私の青春時代=高校・大学を自力で進学・卒業した経験」に独立したコンテンツとして公表している。


2 今の日本では貧しい者の進学は許されないことなのか

(1)親の低所得は、子供の進学に影響を与えるのか

ア 所得格差の拡大

冒頭の短大生の例をとるまでもなく、我が国の所得格差が拡大しつつあることはマスコミ等でも報じられている。橋本龍太郎総理に始まる近年の行財政改革の考え方の基本が、格差を容認するということにあることはいうまでもない。政府が3年ごとに出している所得再分配調査報告書の平成29年版(現時点で最新版)によると、ジニ係数(※)の変化を「時系列で見ると、当初所得では概ね調査を重ねるごとに大きくなっていた」とされている。なお「今回は前回に比べて 0.0110 ポイント低下している」というが、格差が縮小の方向身に向かっているわけではないだろう。

※ 所得格差の指標で、0から1までの数値を取り、大きい方が格差が大きい。

また、厚生労働省の「被保護者調査」による生活保護世帯数も、2002年度の68万世帯から、2019年の163万世帯まで、ほぼ一貫して上昇を続けている。

世界史的に見ると、好景気の時は所得格差が大きくなり、不況期には所得格差が小さくなるものだが、日本においてはこの常識は通じない。なお、実を言えば、近年のわが国の格差拡大の最大の原因は、高齢者世帯の収入減である。このように言うと、「高齢者世帯には進学期の若者がいることは多くはないだろうから、格差拡大と大学進学は会計がないのではないか」と思われるかもしれない。

しかし、格差拡大の原因の一つに母子世帯の増加があることを見落としてはならない。母子世帯の世帯には当然に子供がおり、その子供の進学率が低いことは容易に想像がつく。格差拡大は、子供の進学に大きく影響しているとみるべきだろう。

イ 所得と教育格差

やや古い情報だが、「子ども・若者白書」の平成27年度版(※)には、「子供の相対的貧困率は上昇傾向。大人1人で子供を養育している家庭の相対的貧困率が高い。就学援助を受けている小学生・中学生の割合も上昇続く」とあり、平成24年の子供の相対的貧困率は16.3%まで上昇し、同年に、済的理由により就学困難と認められ就学援助を受けている小学生・中学生の割合は15.64%まで上昇したとされたている。

※ 28年度の「子ども・若者白書」には、子供の貧困に対する記述はほとんどなくなっている。

また、令和2年度の「子ども・若者白書」には、「児童のいる世帯のうち、ひとり親家庭の世帯の割合に近年大きな変化はみられないが(略)、ひとり親家庭の平均所得は、他の世帯と比べて大きく下回っており、子供の大学進学率も低い状況にある(略)。家庭の経済状況等によって、子供や若者の将来の夢が断たれたり、進路の選択肢が狭まることのないように、教育、生活面、親の就労など、様々な支援が求められている」とされている。所得格差が子供の世界にも影響を与えているのである。

ウ 所得と大学進学率

このように格差が拡大する中で、藤村の「大学進学に及ぼす学力・所得・貸与奨学金の効果」は、「家計所得による制約が、大学進学機会にきわめて大きな影響を与えているという古典的な図式である。18人口ママの減少に伴う合格率の向上は、これまで大学進学機会を得られなかった層の入学を緩和させるが、所得による進学機会の格差を顕在化させている」とする。もっとも「ただし、家計所得の制約は、都市の規模を考慮して評価する必要がある。自宅通可能な【東京特別区・14大都市】では、大学進学について家計の影響がみられず、かわって学力の効果が大きくなっている」とはされている。

また、小林の「高校生の進路選択の要因分析」も、「『高校生調査』から、高校生の進路には所得階層間で大きな格差があることは明らかである」としている。なお、「高校生調査」とは、東京大学大学院教育学研究科大学経営・政策研究センターが2005年から2006年にかけて実施した「高校生の進路についての調査」のことである。

この東京大学大学院の調査は、文部科学省の文部科学白書の平成21年版の第1章中にも引用されており、同白書の第2章には「我が国では,国際的に見ても、家計の教育費負担が大きく、それに比べて公財政支出が少ないという状況がうかがえます。家庭の経済状況が進学に影響がある可能性があり、経済的な格差が教育の格差にも影響し、それがまた格差の固定化や世代間の連鎖につながりかねません」という表現がある。政府の文書としては、評論家的で他人事のような言い方(民主党時代のもの)が気にならなくもないが、確かに言っていることはそのとおりではあろう。また、直近の子どもの学習費調査(最新版は平成30年版)によっても、世帯収入の格差が教育費支出と大きな相関があることが分かる。

これらを見る限り、近年では所得格差が拡大することにより、若者の進学機会にも格差が拡大しつつあるという構造が見えるのである。


(2)貧困世帯の子の進学の可能性

ア 貧困世帯の進学可能性

しかし、本稿で問題にしているのは、親の資力による進学の機会が減少しているかどうかではなく、親の資力で進学できない若者が、(その気になったときに)自力で高校・大学に進学することが可能なのかということである。ここまでに見た調査は、たんに"親に資力のない若者は進学する機会が少ない"という、身も蓋もないが、まあそれはそうだろうなという事実を示しているにすぎない。

親に頼らない高校生というと定通制高校を思い浮かべるかもしれないが、今では定通制高校の生徒の状況は様変わりしている。山梨大学の「通信制高校の第三者評価制度構築に関する調査研究 最終報告書」の第3章「通信制高校に学ぶ生徒の現状と課題」をみると、「高校卒業後も引き続き大学等の教育機関に在籍している者の数が順調に増加する一方で、就職者が減少傾向にあることが分かる」とされている。つまり、就職せずに親がかりで定通制高校を卒業して大学へ行く者が増えているということであろう。この状況では、定通制高校生の進学率を調べてみても参考にはならない。

イ 生活保護世帯と大学進学率

そこで生活保護世帯に注目してみよう。まず、生活保護世帯の高校への進学率をみてみよう。「子供の貧困対策に関する大綱」によると、2013年には「生活保護世帯の子供の高等学校等進学率90.8%(全体98.6%)」とされている。これだけをみると大差はないように見える。だが、その内訳をみてみると、「全日制67.6%、定時制11.5%、通信制5.1%、中等教育学校後期課程0.1%、特別支援学校高等部4.9%、高等専門学校0.7%、専修学校の高等課程0.9%」となっており、全日制高校の割合は7割にも満たない。

また、同大綱は生活保護世帯の子供の大学進学率は、「進学率 32.9%(大学等 19.2%、専修学校等 13.7%)」としている。ここにいう大学等とは「大学及び短期大学」である。平成25年度学校基本調査(確定値)によると、同年の高校生全体の大学・短期大学への進学率は53.2%である(※)から、やはり大学についても進学率はかなり低い。なお、双方の統計の数値とも現役生についてのものである。

※ なお、比較のため本文では25年度の数値を紹介したが、令和2年度にはこの数値は58.6%となっている。

ウ 生活保護を受けながら大学へ進学できるのか

また、生活保護を受けながら昼間の大学へ行くことは、政府は原則として認めてはいない(※)。これは、生活保護を受けてはいないが、経済的な理由から大学進学をあきらめて高卒で働いているような若者もおり、彼らが納めた税金からも生活保護費は捻出されているため、その間の衡平を図る必要があるという考えからであろう。

※ 2019年5月21日、参院・文教科学委員会において、厚生労働省の職員が明確にそのように説明している。なお、「世帯分離」といって、進学する子供を生活保護世帯から切り離すことで、子供は進学しても、世帯の他のメンバーは生活保護を受けることはできる。もちろん、この場合は進学する子供の方は生活保護を受けられない。たんに「進学せずに他のメンバーを養って、彼らが生活保護を受けなくてもよいようにしろ」とは言われないだけである。

従って、子が大学へ進学すると同時に、生活保護は打ち切られている可能性が高いものと思われる。なお、子が大学へ行くために必要な金額をアルバイトと奨学金で賄おうとした場合、アルバイトの賃金のうち大学へ支払われる金額と奨学金は原則として収入に計上さない扱いとなっている(※)。しかし、大学へ行くために必要な金額は、生活保護が受けられるような額ではないはずだからである。

※ 現在でも、アルバイトの賃金のうち大学に支払われるものについては、事前に必要な入学料等に限って、収入とはされない取扱いとなっている。

すなわち、親が病気などで働けなくて困窮状態にあるような場合、子が自力で大学へ行くことを望むのであれば、親と自分の生活費と授業料等を捻出しなければならないということである。

親がいないから大学へいけないのではなく、親がいるから大学へいけないという若者は、私が大学へいこうとしたときにも周囲にいくらでもいたし、おそらく今もいるのであろう。

エ 社会は生活保護需給世帯の大学進学を許すのか

この点、フリーランスライターのみわは、DIAMOND onlineの記事「貧困の連鎖は本当に断ち切れるのか」で、人々は「『税金で養ってもらっている生活保護世帯の子どもなのに、一般世帯の子どもと同じような生活をするなんて!』『生活保護世帯の子どもなんだから、もっと劣悪な生活をしているべきなのに!』とは考えないことが多い」といっている。ほんとうにそうであればよいとは思うが・・・。

少なくとも、私たちの高校・大学時代においては、社会には「生活保護を受けていない若者でも、中卒、高卒で働くことがあるのだから、高校、大学へ行きたければ生活保護など受けずに自力でいけ」という雰囲気があった。私たちは、そのような声に応えざるを得なかったのである。確かに日本育英会から奨学金は借りたが、これは卒業してから(たしか)20年かけて全額返した。利子はつかなかったが。

ただ、そうはいいつつも、その同じ社会が、自力で高校・大学へいこうとする私たちを、様々な形で助けてもくれたのだ。だからこそ、私たちは自力で高校・大学を卒業することができたのである。

オ 母子生活支援施設の子供たちの大学進学

次に、母子生活支援施設の子供たちの状況をみてみよう。内閣府の「子どもの貧困対策に関する検討会」の第3回委員会の大塩構成員提出資料は、母子生活支援施設における調査結果を載せている。これによると、子供を短大・大学まで進学させたい母親の割合は、「なんとしても進学させたいと思う」と「本人が希望すれば進学させたいと思う」を合わせると71.1%、「奨学金や補助金が受けられれば、進学させたい」を合わせると82.6%とかなり高い。しかし、彼女たちが子供を大学へ進学させようとすれば、生活保護の下から抜け出さなければならない。そして、同じ調査結果によれば、彼女たちの収入は150万円未満のものが53.7%であるという現実が横たわっているのである。

2019年国民生活基礎調査によると2018年のひとり親世帯の貧困率は48.1%(前回より2.7ポイント改善)である。やや改善されたとはいえ、半数近くが貧困層なのである。平均所得額は306万円だが、最頻値はもっと低くなる。


(3)日本社会の変容

そして、今の日本の社会には、私たちが大学をめざした頃の力強さもなくなり、おおらかさや容認力もなくってしまった。菅総理は「自助、共助、公助」をスローガンにし、ネットの論調や与党の国会議員の間には、「自己責任論」と「貧困者批判」があふれている。

その一方で、ある意味でのいいかげんさもなくなったように思える。これでは、何か他人とは変わったことをしようとする若者には息苦しい状況だろう。

なぜこうも日本は、様々な面で、マニュアル化し、規格化し、そこから外れようとする若者(働きながら定通制高校へ進学する道を選びながら、昼間の大学へ行こうとするような若者など)の夢を容認しようとしなくなったのだろうか。このままでは、日本の経済力には大きな発展は見込めないのではないかとさえ思える。

昔はけっこう変人がいた。そして、変人たちが経済、社会、文化、ときには軍事を動かす場面も多かったのだ。最近の日本は、どうも変人は排除されてしまう社会のように思える。ビル・ゲイツが、もし日本に生まれていたら、彼は成功していただろうか(いや、彼が変人だと言っているわけではないが・・・)。

そして、金がなくて中卒で働きだしたにもかかわらず、大学へ自力で進もうなどと考えることは、ある程度は変人でなければできないのである。失敗すれば借金(奨学金)まみれの低レベルの生活が待っているかもしれないのだ。イチかバチかに賭けてみようという決意が必要で、しかも賭けるべきチップは自分の人生なのだ。変人でもなくてこんなことができようか。

平均的な規格に適合している優等生などには、働きながら大学入試に合格して卒業までいくことなどできはしないのである。


(4)定通制高校生にとっての受験の困難性の増大

大学入試についても、定通制高校から進学しようと考える者にとっては不利になる制度が増えていると思う。共通一次が始まり、今はセンター試験に変わっているが、私の頃は入試一発勝負だった。センター試験は、範囲が広くてレベルが簡単な試験であるが、このような試験に対応しようと思うとどうしても時間をかけなければならない。時間をかけさえすれば誰でも好成績をとれるタイプの試験である。しかし、働いている定通制高校の生徒には、勉強の時間が十分にとれないので、このようなタイプの試験ではどうしても不利になるのだ。

また、各種の入試における特別枠もそうである。特別枠に入るための条件というのは、スポーツや音楽などで「一芸に秀でている」など、親に金がなければ満たすことは不可能なものがほとんどだと言っていい。定通制高校性が狙える「センター試験と本試験一発勝負の合わせ技」の枠が少なくなっていくのである。

これは、少なくない大学が採用している社会人入学制度にしたところで、その多くは似たようなものである。はっきりいって親に金のない若者を救済するための制度ではないのである。


(5)授業料の高騰

そして、何よりも問題なのが授業料の高騰である。国立や、私立でも文系ならともかく、私立の理工系ともなると、学生が独力で稼げるような額ではなくなっている。

しかも、私が大学へ行った頃は、入学すると卒業まで授業料は変わらなかったが、いまでは毎年上がってゆくから入学時に予定を立てることができない。その意味で、進学の賭博性が高くなっているといえる。比喩ではない。金のない若者にとって進学とは文字通り賭博のような面があるのだ。


(6)社会的な支援制度

ア 給付型奨学金

(ア)制度の変遷

次に、日本学生支援機構奨学金制度についてみてみよう。私の頃の日本育英会の奨学金制度には返還を要しない給付型があった。その後、給付型は廃止されて2016年度まで国内の大学について給付型はなかったが、2017年度に給付型の奨学金制度が復活した(※1)。給付型の奨学金制度が復活したことについては、様々な意見もあったようだ(※2)が、私個人としては、今後の若者たちのためにも素直に喜びたいと思う。

※1 給付型奨学金について、2016年8月に、文部科学省が「給付型奨学金に関する議論の整理について」を、12月には給付型奨学金制度検討チームの「議論のまとめ概要)」を公表した。

※2 給付型奨学金に期待する意見として読売新聞社説、新潟日報社説など、さらなる拡充・増額が必要とするものとして北海道新聞社説、毎日新聞記事、信濃毎日新聞社説、Business Journalなど、反対する意見として、池田信夫「給付型奨学金に反対する」、上西小百合議員(当時:無所属(元維新))のTwitter上の発言などがある。

また2020年度より新しい給付制度が開始されている。世帯収入の基準を満たしていれば、成績のみならず「学ぶ意欲」を判断の基準として支援するというものである。給付型奨学金の対象となれば、大学・専門学校等の授業料・入学金も免除又は減額されることがある。朝日新聞(※)によると、「2020年度から国が始めた低所得世帯向けの修学支援制度により、大学・短大などへの進学率がどの程度上がったか文部科学省が調べたところ、住民税非課税世帯では、制度導入前と比べて10ポイントほど上昇したとみられることがわかった。」とされている。

※ 朝日新聞2021年4月13日「収入低い世帯、大学進学率10ポイント上昇 制度後押し

(イ)選考基準

給付型奨学金の選考基準は次のようになっており、いずれかを満たす必要がある。

【所得連動返還型無利子奨学金の学力基準】

  • 高等学校等における全履修科目の評定平均値が、5段階評価で3.5以上であること
  • 将来、社会で自立し、及び活躍する目標をもって、進学しようとする大学等における学修意欲を有すること

このうち、「全履修科目の評定平均値が、5段階評価で3.5以上であること」の方は、一般の高校生であればそれほど厳しい基準ではないが、塾に通うことができず、またバイトを余儀なくされるような高校生にとっては難しい面があろう。さらに、定通制高校の場合にこの基準が満たされるのか、やや疑問がある。

また、「将来、社会で自立し、及び活躍する目標をもって、進学しようとする大学等における学修意欲を有すること」の方は、「学修意欲等の確認は、高等学校等において面談の実施又はレポートの提出等により行う」というのであるから、定通制高校の場合、そもそも高校の協力が得られない可能性が高い。就職している高校生は大学へ進学すると職場を辞めることになるので、職場からクレームが来ることがあり、高校側が協力をするとは思えないのだ。

(ウ)私自身の経験

もっとも、私個人のことを言えば、返還を要しない奨学金は受けることはできなかった。私は、これは定通制高校生には受けにくい面があったことは否定できないと思っている。高校在学中に申し込まないと、大学に進学してから受けることは現実には困難だったのだが、そのためには高校の推薦が必要になる。ところが、定通制高校の場合、どうしても生徒の勤務先に気を遣うので、推薦をだすことに二の足を踏むのである。

また、大学へ進学してからこの制度を申し込んだとき、大学の方から「君は働いている(新聞配達奨学生のこと)から、収入があるとされて受けにくいだろうと思う」と言われたものである。つまり、働かなければならないほど生活に困窮している学生には給付しないということだ。この矛盾!!

イ 貸与型

今も、無利子の奨学金(第1種奨学金)や、親の収入が低い者を対象とした所得連動返還型無利子奨学金(一定の収入を得るまで返済を猶予)などもあるが、これらを高校時代に申し込むためには、高校の学力基準を満たすことが必要になる。

【所得連動返還型無利子奨学金の学力基準】

  • 特定の分野において、特に優れた資質能力を有し、特に優れた学習成績を修める見込みがあること。
  • 学修に意欲があり、特に優れた学習成績を修める見込みがあること。

「特定の分野において、特に優れた資質能力を有し」というのは、スポーツや文化活動などで優秀な成績を収めていることをいうのであろう。これでは、親がかりでない定通制高校生には、これを満足することは不可能である。残念ながら、親に一定の収入がない限り、活用は不可能であろう。

一方、有利子の奨学金(第2種奨学金)は最高が月額12万円であるから、無理をすれば生活には十分である。しかし高校在学中に申し込むには条件として高校の推薦が必要になる。しかし定通制高校は、生徒の勤務先に配慮せざるをえないだろうから、学校は推薦するかどうかは分からないというべきだ。また、学力基準も定められており、多くの働く定通制高生にとって、これを受けることが困難な条件となっているように思える。

また、その他に国の教育ローン(教育一般貸付)があるが、限度額は350万円で担保の必要はなく返済期間は15年で、金利は固定金利で1.66%(2021年)(※)となっている。しかし、教育ローンを受けるのは親であって、本人ではない。これでは、親の理解が得られなければ借りることは無理であるし、そもそも親がいなければ利用することは不可能である。

※ ちなみに2021年6月の三菱UFJ銀行 ネット専用住宅ローンの住宅ローンの10年固定の金利は0.740%(保証料なし)である。もちろん、こちらは住宅を抵当に入れる必要があるから、単純に比較することはできない。

堀は、「子どもの貧困問題と貧困の連鎖の解決に向けて」の中で「日本学生支援機構の行う公的奨学金制度は、その本来の理念と乖離・逆行し、限りなく営利事業たる教育ローンに近いものに変質しつつある」とまでいっている。やや、極端な表現だとは思う。しかし、もし営利事業のようなものになってしまえば、誰だって、返せないかもしれないような低所得者層には貸したくないと考えるようにはなるだろうとも思う。

なお、奨学金や教育ローンのおかげで高校・大学へ進学できたという方も多数おられることは間違いのない事実である。私はそのような方のご努力と能力に敬意を表するものであるし、また奨学金制度などが持つ優れた面を否定するものではないことをお断りしておく。

日本政府も手をこまねいているわけではない様々な手立てもとっている。ただ、残念なことに政府のシステムは、どうしても「規格にはまった多数派」を念頭におかざるを得ない面があると思う。現在の我が国の進学を支援するための各種の制度は、全日制の高校に通う者を念頭にいたシステムであり、働きながら定通制高校で進学をめざす者、とりわけ親のいない者のような「想定を外れた者」にとっては、利用しにくい面もある制度であり、少なくない若者が事実上そこから排除されている現実があると私個人は考えている。


3 結局、今の日本社会は、貧しい者の進学をゆるさないのか

駒村他は、「被保護母子世帯における貧困の世代間連鎖と生活上の問題」において、貧困が世代間で連鎖していることを示している。また、慎他は日経ビジネスオンラインの記事「日本で目立つのは、『貧困の連鎖』より『富裕の連鎖』」の中で、児童養護施設とかかわった経験の中で「努力しなかったための結果の不平等は存在するべきだ」という考えは間違いであると指摘する。私は、慎他の挙げているその根拠(児童養護施設の子供は周りの人々とうまく関係を作っていくことが苦手である)には与しないが、結論には大いに同意できる。

だが、残念ではあるが、私たちの世代では可能であった、中学校を卒業してから自力で生活している者が、独力で大学へ進学・卒業することは、試験制度の面でも経済的な面でも、今の若者には困難になっていると考えざるを得ないのである。

才能を持った優秀な若者が、所属する社会(=日本)において将来を展望することが出来なければどうなるだろうか。彼らはどのようにして自己実現を図ろうとするのだろうか。このことが長い目で見て、社会の不安定化につながらなければよいのだが・・・