フェイクニュースへの対応


ネットの情報にフェイクが混じっていることは誰もが分かっていることです。しかし、ネットの情報を利用せずに生活することは、すでに困難です。

そもそもフェイクニュースはネットの世界だけに存在しているわけではありません。

フェイクを見破る考え方を検討します。




1 はじめに

執筆日時:

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筆者:柳川行雄


(1)フェイクニュースが重大な社会問題に

ア 欧米において重要選挙結果を左右する懸念

ネット上におけるフェイクニュース(偽ニュース)の問題は以前から言われていたことではあるが、とりわけトランプ大統領の誕生以来、これがマスコミで大きな話題となっている。ことの真偽はともかくとして、一説によれば、トランプ大統領の誕生に大きく寄与した要因のひとつにポール・ホーナー氏によるフェイクニュースがあるのだそうだ(※)。また、これに限らず米国大統領選に関しては、フェイクニュースが様々な話題となったことは周知のとおりである。

※ 荻原千明他「「トランプをホワイトハウスに入れた男」の偽ニュース」(2017年4月19日朝日新聞)など

フランスの大統領選でも、ルペン候補が苦戦・落選したのはフェイクニュースを利用しようとしたからだという説がある(※)。また、英国や韓国における選挙戦においても、各候補者はフェイクニュースに重大な関心を寄せていた。

※ 時事通信「ルペン氏伸び悩む=仏大統領選、7 日に決選投票」(2017 年5月5日)

イ 熊本地震における救援・避難活動への深刻な影響

我が国で発生した問題としては、例えば、2016年4月14日に発生した熊本地震の際に、様々なフェイクニュースが SNS を通して流れたことがあった。そのひとつに"動物園からライオンが逃げ出した"というものがある。幸いにこのフェイクニュースを原因とした被害は報じられていない。しかし、これによって、人命救助活動に遅延が生じたり、被災者の避難や受療行動が遅延したりすれば(※)、死傷者の発生につながりかねないものであった。

※ 東スポ WEB(2016年07月21日)によると、動物園に「『家が崩れそうだけど、ライオンが逃げているから家から出られない』という人もいた」とされる。

熊本地震のような、多数の人びとが被災された大災害の発生時に、救護活動や避難活動に困難をきたすおそれのある偽情報を流すなど、きわめて悪質かつ違法性の高い"情報テロ"ともいうべき行為である。また、このようなフェイクニュースの前例が出たことで、今後の大災害の際に真実の報道がフェイクと思われて、逆のパターンで事故が発生することも考えられるのである。

なお、このフェイクニュースを発信したとされる容疑者は、動物園に対する偽計業務妨害罪の容疑で逮捕(※)されている。この事件では、実際に存在している動物園に問合せ電話が集中するなど、業務に支障をきたしたために偽計業務妨害罪の容疑がかかったのである。しかし、我が国の法令には、当然のことながら"嘘をついたこと"を罰する法令はない。"嘘"が、他の犯罪(例えば詐欺罪)の実行行為の一部として行われた場合に罪となるのである。

※ 後に起訴猶予となっている。しかし、ことの悪質性、重大性にかんがみれば、起訴しておくべき事件ではなかったかと思う。

もし、フェイクニュースの内容が、野生のクマが地震で都市部へ出てきたというような内容だったら、犯罪にならなかった可能性もある(※)。言論の自由との関係はあるものの、重大災害時において救助活動や避難活動を妨げるようなフェイクニュースについて、なんらかの法的な対応の検討が必要になっているのかもしれない。

※ 救助の業務を遅らせる意図があれば、救助の業務に対する偽計業務妨害罪になる可能性はある。状況によっては、過失致死傷罪になる可能性もないとは言い切れない。もっとも、過失致死傷罪の法定刑は最高でも罰金刑にすぎず、また実際に死傷と偽情報との因果関係を証明することは困難であろう。

ウ 産業保健に関するフェイクニュース

現実には、本サイトのテーマである産業保健の場においても"フェイクニュース"というべき情報が溢れているのである。

例えば、大阪の印刷業の胆管がん問題の原因物質と言われる1,2-ジクロロプロパンは、災害の発生が明らかになるまでは"労働安全衛生法で規制されていない物質だから安全"という宣伝文句で販売されていたといわれている。「未規制物質 イコール 安全」というようなフェイクに騙されると、従業員の健康を損なうことになる。

産業保健の場においても、フェイクニュースを見分けて正しい情報に従って事業場の衛生管理を行うようにしなければならない。本稿では、産業保健とは異なるが、いくつかのフェイクの例を挙げて、フェイクを見破るためにはどのようにすればよいかについて考察してみたい。


(2)フェイクニュースの定義の試み

なお、現時点では、フェイクニュースについて厳密な定義があるわけではない。そこで、本稿ではこれを"真実とは異なる国民の意識を形作るおそれのある情報"と定義することとする。国民については、全国民ではなく一部の国民であってもよいとしよう。

また、フェイクニュースの発信者が、それをフェイクと認識していたかどうかは問題とはしない。WEBの世界においては、誤解や意思伝達の齟齬などによって、特定の発信者が確認できない、自然発生的に成立するようなフェイクニュースも存在していよう。これらもフェイクニュースとして位置づけるべきだからである。

従って、いわゆる似非科学(マイナスイオン、ゲーム脳、血液型による性格判定等)も含められることとなる。ただし、本稿では似非科学としてはマイナスイオンのみを取り上げる。

さて、次項では、マスコミや大企業が発信源になったものを含めて、国民の少なくない部分が信じたフェイクの例を見てみよう。


2 フェイクニュースの例

(1)マスコミにおけるフェイクニュース

フェイクニュースは、ネットの世界にだけ存在するわけではない。ネットがなかった時代にも、様々なデマや偽ニュースは流れていたのである。マスコミによる報道においても例外ではない。

マスコミは、フェイクニュースを、SNS やブログなどによって"個人が意図的に発する偽情報"だと定義しているように見える。自分たちは、校正部門が機能しており、組織としてニュースを出しているのだから、フェイクニュースとは無関係だということなのだろう。しかし、以下に例を挙げるように、マスコミによって報じられるニュースにもフェイクが含まれていることはあるのだ。

そもそも、個人が発するフェイクニュースが問題になるのは、それが一時的にせよ多くの国民に信じられるからである。そしてその背景には、政府や一流企業、大手のマスコミの広報・報道が信じられないからこそ、個人が発するフェイクニュースが信じられるという面があろう。Forbesが、2016年12月に報じたところによると、日本人は「報じられるニュースの大半は信じられる」と回答した人の割合は43%にすぎない(※)のだそうである。

ただ、私自身を含めてのことだが、日本人は、意外にマスコミや政府の言うことを信じやすいとも思えることがある。むしろ “信じられない” と回答した人々の多くが、実際には “マスコミが報じるニュースの内容について疑いを持たない” ことが多いということの方にこそ問題があるのかもしれない。

※ Niall McCarthy「「報道を信じる人が多い国ランキング」発表、日本は約 6 割が懐疑的」(2016年12月21日Forbes Japan)による。なお、この記事はロイターの調査を基にしている。

ア マスコミの報道の特徴と限界

(ア)読者の関心の高いことのみを報道すること

先述したように、報道機関は組織で動いており、校正が多重に行われることは事実である。従って、誤字脱字の類は少なくなるし、事実関係についての正確さは、個人が運営するサイトよりもかなり高いことは事実である。また、洗練された読みやすい文章になっていることも確かであろう。

しかしながら、マスコミも営利企業である。そのため、まず、ニュースを購入する読者が関心を持たないような事実は報道しないという問題がある。もちろん、それだけのことなら当然のことで問題にするべきことではないのかもしれない。しかし、しばしば読者の期待に沿った形での報道を行うことがあるのだ。そのため、報道されたことは"事実"にせよ、それだけを見ていると現実とはかなり違った印象を受けることがあるのである。

例えば、何か凶悪犯罪が引き起こされた場合、世論がそのような犯行に対して批判的となることは当然である。ただ、しばしば容疑者と犯人を混同してしまい、容疑者に対して批判的となる。例えば、松本サリン事件の初動においてもそのような状況があった。

マスコミは、容疑者の段階では犯人扱いの報道はしていないというかもしれない。だが、実際には、容疑者の段階で、近隣や職場の “そんな人とは思わなかった” だの “おとなしい人だった” などという評判まで報道している。“思わなかった” というのは、“今は思っている” ということであろう。

周辺の住民などが “思っている” ということそれ自体は、虚偽の事実ではないかもしれない。しかし、そのような報道は、容疑者が “真犯人” であるというイメージづくりに手を貸すのである。

一方、冤罪事件が裁判で明らかになると、今度は、かつて冤罪事件の被告や懲役囚が"極悪非道"であるかのごとく報じたことをすっかり忘れて、正義の報道とばかりに"司法の犯罪"を書き立てるのである。

(イ)ややステレオタイプ的な報道をすること

チュニジアで始まった"アラブの春"は、アラブのいくつかの政権が倒される事態にまで発展した。このきっかけは、路上で無許可の販売活動を行っていた若者が、政府による取締まりによって、販売のための道具類を没収され、それに対する抗議の焼身自殺を図ったことである。その時点では欧米や日本のマスコミはほとんどといってよいほど報道をしていない。詳細な報道をするようになったのは、さらに大規模な抗議活動に発展してからである。

確かに、初期の報道が遅れたことはやむを得ない面もあろう。北アフリカの小国における焼身自殺が、ここまで大きな意味を持つことになるとは予想ができなかっただろうからだ。

だが、実は、焼身自殺が報道されるようになってからも、ほとんどのマスコミが報道しない事実があったのだ。例えば、自殺した青年の怒りの原因の一つが、女性の検査官から平手打ちを受けたことだったことがある(※)。これはイスラム教徒の男性にとってはかなりの屈辱感を受けることなのだ。

※ 重信メイ「「アラブの春」の正体」(角川書店 2012年)

確かにベン・アリー政権が腐敗していたことは事実で、政権の有力者に富が集中し、若者を中心とする国民の生活環境は極度に窮乏していた。しかし、ベン・アリー政権は、女性の社会進出などには比較的寛大だったのである。このため、女性の捜査官が男性の住民に対して尊大な態度をとるということが起きたのだ。

ところがマスコミ各社は、こういった報道は行わない。「アラブの春を担った若者たちは古い因習にとらわれない自由主義者で、アラブの独裁者は女性の社会進出などを抑圧する」というステレオタイプにとらわれているためとしか思えない。

また、チュニジアでベン・アリーの失脚後、政権を取ったのがムスリム同胞団であり、アラブの春を担った青年たちではないということも、あまり報道されることはなかった。

ムスリム同胞団は、少なくとも女性の社会進出に関しては、ベン・アリーよりも進歩的な考え方を持っているとは思えない。このような"アラブの春"のもうひとつの面に触れようとしないことはマスコミの大きな限界であるといえよう。

(ウ)記者やデスクに専門知識があるとは限らないこと

また、2000 年問題のときにも、マスコミはやたらに危機感を煽ったものである。情報処理技術の専門家(※1)たちは、航空機の墜落事故が起きるだの、北朝鮮からコンピュータの誤動作でミサイルが飛んでくるだの、果ては食料の備蓄が必要だのと言った過剰な報道にいささか辟易していたものである(※2)。少なくともほとんどの情報処理技術者たちは、2000 年問題を原因として大事故が起きるなどとは思ってもいなかったのである。

※1 とっくに錆びついてはいるが、私も20歳代に第1種情報処理技術者の資格を取得している。その意味では、情報処理技術の専門家と、まったく言えないわけでもないと思っている。

※2 当時、2000 年問題のために電気釜が爆発するおそれがあると書いた雑誌が実際にあったのである。ここまでくると、理科の好きな中学生や高校生にもばかにされるようなレベルであろう。こんな話が、堂々と活字にされて売られていたのである。

マスコミの側にあまりにも専門知識がなさすぎるのである。もちろん、科学記事の執筆に携わる記者たちに、広範で深い専門知識を持てというのは、やや無理な面もあろう。しかし、専門家の知識を活用して記事にする能力は求められるのではなかろうか。それができていないのである。

かくして、本来であれば、国民に対して正確な情報を伝えて、不要な不安を押さえるべき報道機関が、不正確な知識で記事を書いて、かえって不安を煽っていたのである(※)

※ 2000年問題に関しては、政府も食料の備蓄を国民に呼びかけていた。ただ、担当者が本心でばかばかしいと思っていたからか、国民の不安を煽ってはいけないとおもっていたからなのか、"大地震がきたときに必要になるから、それに備えて2000年問題をひとつの機会に食料を備蓄しよう"という趣旨の呼びかけをしていた。事実、政府の東北地方にある地方機関の職員から、このときの食料の備蓄が(とっくに消費期限が切れてはいたものの)東北大震災の直後に役立ったという話を聞いたことがある。

イ テロと IS に関する報道

また、最近ではやや改善されてきたものの(※)、つい最近までISとイスラム過激派をめぐる報道に、首をかしげたくなるものがあった。というのは、テロが起きるたびに、少なくないマスコミが、すべてをISに結び付けたがる傾向があったように思えるのだ。"テロの実行組織"イコール"イスラム過激派"イコール"IS"と国民をミスリードするような報道を行っていたのだ。しかし、このような正確性に欠く報道を行うことは、我が国の国民の安全という観点からも決してプラスにはならないだろう。

※ というより、すでにISそのものが、本拠地のイラクとシリアで壊滅的な打撃を受けつつある。

確かに、欧米でテロが起きると、ISが犯行を認めたり、実行犯を称賛したりする例はある。しかし、これらも実のところはどこまで IS が関わっているか分かったものではないのである。

あまりにISを過大評価することは、かえってISの術中に嵌ることになりはしないだろうか。マスコミは分かっていて、報道にインパクトを与えるためにやっているのかもしれない。そうだとすれば、まさにフェイクニュースと評価するべきものであろう。

ISはウサマ・ビン・ラーディンの頃のアルカイダに比較すると、欧米のことよりも “近くの敵(シーア派)” を攻撃することに熱心である。フランスやベルギー、英国の一連のテロについては、実際にはアルカイダの関係組織であるアラビア半島のアルカイダや、ホームグロウンのローンウルフ(※)に近いグループの犯行とみるべきものが多いのが実態なのだ。

※ ただし、ローンウルフと呼ばれる実行犯の中には、必ずしもしっくりとした関係を築いているわけではないにせよ、パキスタン等でアルカイダの幹部と接触した経験のあるものもいる。また、SNS などを通してイスラム過激派と連絡を取っていたり、心情的なつながりを持っていたりすることも多い。その呼称(一匹狼)から受ける印象とは異なる場合がほとんどだといわれることは留意しなければならない。

最近、アフリカのテロ組織の専門家と称する人物が、ある報道番組で “イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ” と “アル・シャバーブ” を、ISの関連組織だと紹介しているのを見たことがある。しかし、これらの組織は、公式にはアルカイダ系の関連組織とされているものだ(※)。知っていて番組を面白くするために言っていたのか、たんに知識がないだけなのかは分からないが、これもやはりフェイクニュースの一種というべきものであろう。

※ いずれも最近ではアルカイダとの関係は薄れてきているようである。

確かにISは、その前身であった “イラクのアルカイダ” の頃に、(ISIになってからもだが)アルカイダから資金援助を受けていたという事実はある。しかし、現在ではアルカイダのザワヒリとISのバクダディ(※)は、お互いに反目しあっており、この2つの組織は決して友好的な組織ではない。

※ なお、バグダディについては、ロシア軍の攻撃によって殺害されたという報道もあったが、米国政府が発表したところによると2019年10月27日に米軍によって殺害されたとされている。

また、アルカイダはイスラムの宗派同士の争いを避けようとしているが、ISはむしろイスラム内の宗派間の争いに熱心である。アルカイダそのものも、最近では欧米諸国への攻撃を主な活動目的とはしていないが、欧米にとって危険な組織はむしろ(相対的には)アルカイダの方だとさえいえるのだ。

なお、この報道番組ではボコ・ハラムもIS系列と紹介していた。ボコ・ハラムはISに忠誠を誓っており、確かにその意味では誤りではないのだろうが、ボコ・ハラム自体が内部の指揮系統などの実態のよく分かっていない組織なのである。ボコ・ハラムの一部が、たんにISの “ネームヴァリュー” を利用しようとしているだけの可能性もあり得るのだ。実際には、どこまでISに忠誠を誓っているか分かったものではないのである。

かつて、9.11の米国同時多発テロの直後に、ある報道機関でやはり中東の専門家と称する人物が、このテロの主犯はPFLPだと断言していたのを見たことがある。当時、PFLPはすでにアラファト支持派と批判派に分裂していたが、この専門家と称する人物は、そのどちらが米国を攻撃したかについては一言の説明もしなかった。

その頃では、PFLPの各派は米国を攻撃することなどよりも、PLO内部の争いに強い関心を持っており、米国同時多発テロがPFLPの犯行という解説報道を聞いて、不思議に思ったことを覚えている。また、PFLPは過去に欧米の航空会社を対象としたハイジャックなどの犯行を行ってはいるが、いきなり多数の民間人を殺害するというタイプのテロは行ったことはない。しかもその頃は欧米を対象とするハイジャックなどは控えていた時期なのである。

PFLP の犯行という解説には、素人の私でさえ違和感を覚えたわけだが、結果的にやはり誤報であった。

我が国のマスコミは、イスラム過激派内のテロ組織に関しての知識は、欧米のマスコミに比して、概して低いようだ。とりわけ解説についてはフェイクと言ってよいものがかなりあるように思える。あまり信用しない方がよいのかもしれない。

イ 小選挙区制度の導入時の報道

(ア)小選挙区制度導入時のマスコミの対応

小選挙区制度が導入されるとき、普段はリベラルを謳い文句にしていたマスコミが、これを選挙がらみの腐敗や不正防止のための制度であると報道していたものである。これによると、候補者が身近にいれば、その主張や人柄がよく分かるから、カネまみれの選挙になることはないのだという。また、対象となる有権者数が少ないので、カネがそれほど必要でないから不正もなくなるとも言っていた。

だが、そんなことで不正がなくなるなら、市町村長の選挙は国政選挙よりもはるかに清廉なものでなければならない。だが、必ずしもそうではないということは、市町村選挙関係の腐敗・不正が報道されることがよくあることでも分かろう。

また、候補者が身近にいれば、人柄がよく分かるというが、ごく狭いムラ社会のような範囲ならともかく、市町村レベルでも国レベルでも"身近"かどうかという意味では、ほとんどの有権者にとってさしたる違いはない。そもそも身近だからこそ腐敗するということもあり得よう。

さらに、対象となる有権者が多かろうが少なかろうが、他候補との競争ということに変わりはないのである。あまりにも根拠のない、ばかげた主張であった。

(イ)小選挙区制度のデメリット

実を言えば、小選挙制度の導入当時、その本当の目的が"2大政党制"の実現、言葉を変えれば少数政党の排除、もっと言ってしまえば共産党と公明党の排除にあったことは、当時、知識層の人びとの間では誰の眼にも明らかだったのである。しかし、当然のことながら、少数勢力の排除は、その支持者の側から見れば大きな問題のはずだ。ところが、マスコミはそれらの問題については、全くと言ってよいほど報道をしなかったのである。

しかも小選挙区制によって2大政党制になるなどという保証すらどこにもなかったのである。小選挙区制になると、相対多数以外の政党は当選が困難になるので、組織統合が進んで2大政党になるというのが、小選挙区制度の推進者の言い分である。そして、その際に公明党や共産党のような他党に受け入れられにくい政党は淘汰されるというのである。

しかし、公明党や共産党も国民の一部から支持を受けている以上、そのような発想は、民主主義という観点から問題があるだろう。また、政党の組織統合が進まなければ、"相対多数"の勢力が"絶対多数"を占めることになることは確実なのだ。相対多数勢力による極端な政策を許して、我が国の過半数の国民が望まない政治が行われるなどの危険性もあるのだ。

現在では、小選挙区制度は、安定した政権のための制度であると言われるようになっている。しかし、そのことは裏返せば少数派の国会からの排除ということなのだ。どのような制度にもメリットとデメリットがあることは当然であるが、国民に対してはその双方が示されなければならない。ところが、当時のマスコミは国民に対してメリットとデメリットの双方を示そうという態度ではなく、デメリットについてまともに報道したマスコミはほとんどなかったのである。

だが、現実は、公明党は与党と連携を図ることにより、また共産党は独自性を強く打ち出すことにより、現在でも一定の勢力を有している(※)。むしろ、2大政党制となれば政権を取ることもできると期待して、小選挙区制度を推進した社会党が、いったんは自民党と組んで政権を担ったものの、その後の政党再編の中で力を失ってしまったのは歴史の皮肉というべきであろうか。

※ 最近では、ワーキングプアが共産党の新たな支持層になりつつあり、市民派との連携も進んでいる。とはいえ、得票率に比べれば議席の比率ははるかに少ないのだが。

(ウ)小選挙区制度がもたらした弊害
① 有力な政党の公認さえ受ければ誰でも当選可能

そして、小選挙区制度は、いくつかの弊害をも、もたらしたのである。その一つは、時流に乗った政党の公認(あるいは推薦)さえ取れれば、議員としての資質に欠ける人物でも当選できてしまうということだろう。

最近のことだが、給費生奨学金制度について、反対の意思表示を SNSで行った若い国会議員がいた。ここでは、そのこと自体について問題にするつもりはない。問題は、その議員が本人の公式WEBサイトに、公約として給付型奨学金の実現を掲げていたことなのだ。このことは、ネットで問題となり、その矛盾を指摘する意見がSNSで発信された。

すると、この議員は、公約は所属政党の指示でしかたなく掲げたものにすぎず、自分としては反対である(※)と述べたのである。

※ この時点では、この議員は公認を受けた政党から除名されていた。また、現時点では議員の籍を失ってるので名前を挙げることはしない。なお、このことが話題となった直後に、自身のWEBサイトから給付型奨学金制度実現の公約を削除した。

要するに、政党の公認を得るために自分の主義・主張とは異なる公約をWEBサイトに掲げて当選し、当選するとWEBサイトに掲げた公約はそのままにしておいて、その公約に真っ向から矛盾する行動(発言)をするのである。これではもはや、政治家としての資質に欠けるとしか言いようがない。このような人物が選挙の時点で有力な政党の公認を得られさえすれば当選するという仕組みは、公認をした政党にも問題はあろうが、制度的にもやはりどこかおかしいのではなかろうか。

② 政治家としての実績や政策の不要化

また、国民のためにどれだけ努力したかではなく、有力な政党の公認が取れるかどうかが重要になることによる弊害もあろう。昔は、自民党はその多様性がひとつの強みになっていた。かつての自民党の少なくない議員には、少なくとも議員としての矜持と信念があったように思う。

多数派が無理を通そうとしたときは、党内のリベラル派がブレーキ役を果たしたこともあったのである。ところが、最近、そのブレーキが利かなくなっているように見える。これは小選挙区制度の下では政党の公認を取れるかどうかがきわめて重要となるため、党中央の意向に逆らことが難しくなっているとともに、党中央の意向に従ってさえいればよいため、自らの考えで判断する能力を失いつつあるからという面もあるのではないかと思えるのだ。

③ 社会的弱者への攻撃をする議員たち

さらには、最近では、社会的な弱者をおもんばかる能力のない議員が増えているようにも思える。

あるテレビ番組で自らの貧困について語った高校生が、一方で SNS で千円のランチを食べたと発信していたのをとらえて、この高校生は貧困ではないとつるし上げた有力議員がいる。

市井の一高校生を、ネットで吊るし上げるなど、大人のしかも国家の運営を担当する国会議員のやることではあるまい。さすがにこの議員の行為は、スポーツ紙や夕刊紙などの一部マスコミが批判的にとりあげていた。もっとも、いわゆる一流マスコミは報道を避けていたようである。

また、原発反対の立場の国会議員が、原発反対を理由にタクシーに乗車拒否をされたとして、議員の権力を用いてそのタクシー会社を処分しようとしたことがある。確かに、タクシー会社が政治的な立場を理由として乗車拒否をすることなど、許されることではない。しかし、そのタクシー会社があるT市は原発で栄えてきたような街なのだ。原発が停止して、市の経済が冷え込み、タクシー会社の職員の収入が激減しているという状況が背景にあるのだ。

タクシー会社の職員の賃金レベルなど、元のままだったとしても、議員の十分の一以下であろう。それがさらに急激に低下して生活にも困難をきたすようになってきているのである。

一方、乗車拒否をされたところで、潤沢な活動費を、(そのタクシー会社の職員を含めた)国民の税金から得ている議員にとっては痛くもかゆくもないであろう。レンタカーを借りて、秘書に運転させればよいことなのだ。それにもかかわらず、自らの立場を利用して、地方のタクシー会社の職員の処分を図ろうとするのだ。

こういうことを"弱い者いじめ"というのである。乗車拒否をされたような場合であっても、自らの政策のために困窮に陥っている人がいるということに思いをはせるようなことは、今の議員に望むことは不可能なのであろうか。

これが、マスコミが絶賛した小選挙区制度によって政治の行きついたところではなかろうか。このときの小選挙区制度を絶賛した報道こそ、国民をミスリードしたフェイクニュースというべきであろう。

ウ 北朝鮮をめぐる報道

(ア)冷静な報道の必要性

また、最近の北朝鮮をめぐる報道にもフェイクニュースといえるような内容を含んでいるように思える。やや冷静さに欠けるのである。もちろん、北朝鮮の政府は、日本の子供を含む国民を拉致したり、金正男氏を北朝鮮の国外で殺害したりするなど、とうていまともとはいえないことは確かである。

しかしながら、だからと言って冷静さに欠ける報道は、国民世論をミスリードしかねないのである。北朝鮮がいきなり日本へ向けてミサイルを撃ち込みかねないかのような報道は、この情勢下にあっては、やや危険な世論を創生しかねないリスクがあるように思えるのだ。

ミサイルを発射したからといって、いきなり電車を止めるような電鉄会社が出てきたり、ミサイルが飛翔してきた場合の訓練を行う地方自治体が出てきたりするなど、冷静さを欠くばかりか意味のないばかげた対応が行われるのは、マスコミの報道にも問題があるのではなかろうか。

このような国民の不安を煽る行為は、我が国の為政者の軍事・外交両面での政策的な判断を誤らせることとなりかねない。そればかりか偶発的な戦争の危険性を高めたり、政府による外交努力の方向を誤らせたりするなど、長期的に見た我が国の国益を損なうおそれさえあるのだ。さらには、このような過剰反応や、冷静さを欠いた対応は、かえって金正恩を喜ばせる結果になりかねないのである。

(イ)なぜ彼らはミサイルの開発を急ぐのか

確かに、北朝鮮の政府に問題があることは確かだが、いきなり他国へミサイルを撃ち込むほど愚かではないのである。彼らがミサイル開発を急ぐのは、通常兵器による米国からの攻撃を恐れるためであろう(※)。一例を挙げれば、米国の空母が日本海に集結したタイミングで、対空迎撃ミサイル発射の動画を公開して、発射に"成功"したと主張したこともその表れであろう。米軍が攻撃してくれば反撃する能力はあるのだとアピールしたわけである。

※ 蓮池薫氏も 2017 年5月 17 日の朝日新聞インタヴュー記事において、そのように述べておられる。

また、リビアのカダフィが核兵器の保有をあきらめたために失脚したと金正恩が考えたことが核兵器の開発の理由であり、一方、核兵器があってランチャーがないという状況では、かえって米国の攻撃を招くと考えたことがミサイル開発を急ぐ理由だとする専門家(※)もいる。

※ 例えば、坂井隆他「独裁国家・北朝鮮の実像」(2007 年紀伊國屋書店)

いかに金正恩とはいえ、ミサイルが完成したから、いきなり周辺の国家に撃ち込むなどということは、現実には考えられないのである(※)

※ もっとも、グアム周辺にミサイルを撃ち込むと言ってみたり、予告なしで我が国の上空にミサイルを通過させたりするなどは、戦争を誘発しかねない危険な行為であり、明らかに行きすぎであろう。また、韓国の報道陣に"死刑宣告"をするに至っては、やや常軌を逸している感がある。

(ウ)北朝鮮の内政はどうなっているのか

また、北朝鮮が独裁国家であることはその通りだが、民主主義のリーダーを自認する米国の友好国であった、かつての中南米の独裁国家と比較して、国民への圧迫はそれほどでもないという評価は可能であろう。少なくとも、北朝鮮においては、一般の国民が政府によって、ある日、突然に誘拐されたり殺害されたりするといったことは起きていないのだ(※)

※ 脱北者や北朝鮮から帰国した拉致被害者も、北朝鮮では一般国民が政府によって誘拐されたり、殺害されたりしているなどとは言っていない。しかし、そのようなことは、米国の友好国であるかつての中南米の独裁国家では日常的に起きていたのだ。

さらに、一般国民の生活のレベルが、日本や韓国と比較すれば低いことは事実である。しかし、世界的にみれば、現在の北朝鮮よりも民度の低い国はめずらしくもないのだ。むしろ金正恩の就任以来、北朝鮮の経済は若干ではあるが成長している。現在の北朝鮮の状況は、"苦難の行軍(※)"の時期とは違うのである。国民の政府に対する意識は、ただちに反乱や革命を勃発させるほどに悪化しているというわけではないのだ。

※ 90年代後半の飢饉の時期のことをいう。

さらに、逆説的に言えば、国際的な違法行為ではあるが、少なくともミサイルや核兵器を開発したり、他国へサイバー攻撃をしかけたりする程度の技術力は有しているのである。

また、国内の秩序も保たれており、治安もそれほど悪いわけではない。ソマリアのような失敗国家などとは違うのである。

(エ)米国と北朝鮮間の戦闘はあり得るのか

おそらく現時点では、トランプも金正恩も、米国・北朝鮮間で戦争を起こすことを望んではいないだろう。それは米国にとっては見返りのない多額のコストがかかることであり、金正恩にとっては政権を失いかねないことで、互いに自らの利益にそぐわない行為なのである。

そもそも米国にとって、北朝鮮には、イラクとは異なり米国の権益は存在しておらず、石油も出ないのである。周囲には韓国と日本という重要な友好国があり、また、中国とロシアという米国にとって気を使わざるを得ない超大国も存在している。そして、韓国も本音をいえば、北朝鮮政府が崩壊して北朝鮮国民への責任を負わされるようなことは望んではいないだろう。中国とロシアも、北朝鮮という国際政治におけるカードが失われることを本音では期待してはいまい。

トランプがいきなり通常兵器で北朝鮮を攻撃するようなことは、どう考えても合理的な判断とは言えないのである。

もし、戦争が起きるリスクがあるとすれば、次のようなことが考えられるだろうか。

① トランプが、米国の一撃によって金正恩が反撃の意思と能力を失うほどの効果を上げることができると誤解したとき

② 金正恩が、トランプが①のように考えたと思い込み、"それならいっそ、その前に・・・"と考えたとき

③ 盧溝橋事件のような偶発的事件が発生し、米国と北朝鮮がお互いの意思を読み間違えて、偶発的な開戦に至る場合

だが、いずれもあり得ないことではないが、起きるリスクがそれほど高いとは思えない。

(オ)冷静な判断を欠くことは危険である

マスコミが北挑戦の危険性について国民の危機感を煽り、そこまで意図してはいないにせよ、国民の意識・世論が再軍備の容認に向けて動くようなことがあれば、我が国の経済にとってプラスにはならないだろう。

さらに危険なことは、米国が平壌の政府庁舎をピンポイント攻撃して、金正恩を抹消すれば、北朝鮮の国民が米国に感謝して、"民主的な"国家が建設されると、我が国の国民が思い込むことである。それは、ブッシュがイラクを攻撃したときと同様な誤りと言わざるを得ない。

ところが、我が国の世論が米国による平壌への攻撃を支持するようなことになれば、トランプの平壌攻撃の心理的な障壁が低くなる可能性もある。それは極めて危険な状況を生み出すことになる。すなわち、マスコミによる無責任で冷静さを欠く報道が、現時点でだれも望んでいない戦争勃発の誘因をつくりかねないのである。

もちろん、そのような攻撃はいわゆる予防戦争(※1)であり、国際法上も許されることではない。それどころか、仮に、現状の状況下で、米国軍が北朝鮮の政府機関の建物や核施設をピンポイントで爆撃し、我が国がそれを支援するとすれば、その後の北朝鮮による我が国への攻撃は、国際法上、合法ということになりかねない(※2)のだ。

※1 予防戦争については、アメリカには 1983 年のグレナダ侵攻や、2003 年のイラク戦争という「前科」がある。これらの戦争でアメリカは予防戦争であることを隠そうとさえしなかった。

※2 イラク戦争において、米軍の地上部隊が道路の検問を行っていたときに、イラク側が自爆攻撃を仕掛けたことがある。このとき、米国のある報道機関がこの攻撃を「テロ行為」と表現していた。確かに自爆という攻撃方法は正常な軍事行動とは言えないかもしれないが、攻撃したこと自体はテロ行為などではなく、国際法的にみればどう考えても合法的なものであろう。

また、実際には、金正恩政権が倒れても、北朝鮮国民と周辺国家の軍事的な安定にプラスになるとは限らないのである。地方の軍の部隊や警察が、米国が打ち立てた政権と争えば内戦状態になりかねないし、また地方の軍部隊が独立して軍閥を形成し、相互に争うようなことも起こりかねない。強力な政権が消えた真空地帯には、様々な組織が入り込むのである。そのような状況下では、旧政権時代の核で武装した部隊がIS やアルカイダの関連組織などと関係を持つことさえ考えられるのだ。

もちろん、北朝鮮の核開発やミサイルの発射が、国際法、国際条約、国連の安全保障理事会の決定等に反していることは明らかである。したがって、あまりに融和的な政策をとることは得策ではないだろう。国連の制裁決議が厳守されなければならないことも当然である。第二次世界大戦直前にダラディエやチェンバリンが対独融和政策をとったことが、ヒトラーの欧州各国への侵略を容易にさせた歴史的な事実を忘れてはならないだろう。

しかし、だからといって事実関係についての分析にまで、冷静さを欠いてはならない。金正恩の意図や、北朝鮮の国民感情、国の経済や政治の実情については、我が国の国民に正確な情報が伝えられなければならない。そもそも金正恩は、第二次世界大戦直前のヒトラーと違って、周辺国家への侵略行為はしていないのだ。金正恩とヒトラーはそこが大きく異なっている。昨今のマスコミの報道は、やや冷静さを欠くように思える。

エ 最近の沖縄に対する報道

(ア)一部マスコミの沖縄報道は、冷静さを欠いている

最近では、沖縄をめぐる一部のマスコミの報道にフェイクニュースがみられるように思える。沖縄の現状やこれまでの経緯について、無知に発していると思われるものがきわめて多いのだ。これらの報道の中には、国民をミスリードし、他府県民の沖縄に対する反感を意図的に煽ろうとしているのではないかと思われるものがある。このような報道は、沖縄県民の米軍基地に対する気持ちや感情が理解できていないとしか思えない。

最初に言っておかなければならないことは、沖縄県民は日本国民の一部だということである。そして、その日本の一部である沖縄は、大戦中には日本で唯一地上戦に巻き込まれており、戦後は 1972 年まで米軍に占領され、施政権返還後(主権回復後)においても多くの米軍基地が置かれてきたという事実があるのだ。米軍機の小学校への墜落による小学生の死傷、米軍軍人・軍属による強姦殺人事件の発生など、実際に多大な犠牲を払っていることも厳たる事実なのである。

その一方で、占領期における米軍は、沖縄経済(の一部)を、基地がなければ自立できないような構造にしようとしてきた。そしてそれは、確かに成功した面があるのだ。その結果として、沖縄県民の一部に基地の存在を"容認"する動きがあることも事実である。

だが、それは沖縄自身が自ら望んだ結果ではない。結果としてそのような現状があるため、現状では急激な変化を望むことができない状況に追い込まれているということなのだ。基地を容認している県民の多くは、"基地推進"などではない。あえて言えば"ない方がよいが、現状では当面やむなし"にすぎないのである。

しかも、このことは沖縄県民の心に対して、個人レベルでは強い葛藤をもたらし、県民レベルでは深刻な分裂をもたらしているのである。基地のもたらした弊害は、現実に目に見える被害ばかりではない。このような沖縄県民に分裂をもたらしていることもまた、米軍基地の大きな災厄ともいえるのである。

このような現状を無視して、一部の報道機関が基地への反対行動を県外の立場から批判し、沖縄県民と他府県民との対立感情を煽るような報道をすることは、沖縄県の米軍基地に関する認識不足によるものというしかない。

(イ)国民間の対立を煽ることは我が国の国益に反する

また、そのような報道は、我が国の国益を大きく損なうものであるということも理解されるべきであろう。国際的に見ても、国内の一部地域と中央政府との争いが、国の発展を阻害している例は多いのだ。英国にとっての北アイルランド、カナダにとってのケベック州、スペインにとってのバスク地方、中国にとってのチベット自治区やウイグル自治区、トルコにとってのクルド族の居住地域など、枚挙にいとまがない。

このような対立構造を、日本国内に生じさせようとする最近の沖縄をめぐる一部の報道は、我が国の長期的な国益を大きく損なうものであるということができよう。

(ウ)普天間移転をめぐるフェイクニュースの例

かつて、普天間問題で民主党政権が"最低でも県外"と言っていた頃、某テレビ局のニュース番組で、某キャスターが民主党を持ち上げて、"政権は国外に行ってもらいたいのが本音だ"と解説していたのを見たことがある。実際には海外移転など考えてもいなかったことが後に明確になるわけだが、根拠のない想像で行った解説であり、フェイクというべき例であろう。

また、2016 年に米軍の軍属によって沖縄県民の若い女性が強姦殺人の被害に遭ったときのことである。遺族による法要が開かれたとき、当時主要全国紙のひとつであったS紙が、「政治利用して欲しくない」四十九日法要が開かれる」と題して、事件被害者の親族は事件の反基地運動への"政治利用"を望んでいないとの発言をした(※)という趣旨の報道をしている。

※ 沖縄タイムスによると、ほぼ同じ発言が「遠い親戚に当たる前名護市長のS(原文は本名=引用者注)さん(69)」によってされたとされる。そして、三山喬「国権と島と涙」(朝日新聞社 2017年)によると、同Sさんの取材にはS紙の記者もいたとされており、S紙にいう「親族」とは沖縄タイムスの報じたSさんの可能性が高いものと思われる。

ところが、同じ日に開かれた名護市民の追悼集会に、被害者の父親が、「次の被害者を出さないためにも「全基地撤去」「辺野古新基地建設に反対」。県民がひとつになれば、可能だと思っています」というメッセージを寄せているのだ。

どうみても、遺族は、事件の再発を防止するために基地撤去を望んでいるのである。だとすれば、S紙の報道は、事実とは異なる印象を受けることをねらった報道だというしかないであろう。このような事実と異なる報道は、国民の世論をミスリードし、国民の間の対立を煽ることとなろう。事実、前述の追悼集会には右翼団体が押しかけたという。S紙の報道は、結果的に国益を大きく損なうこととなるフェイクニュースというべきではなかろうか。

最近では「ニュース女子」が、反基地活動に対して「救急車を止めて現場に急行できない事態が続いていた」だの、「5万円日当」などと報じて、各界の批判を浴びている。これは、事実と異なる虚偽の報道であり、フェイクニュースそのものである。沖縄県民に対するヘイトであるばかりか、繰返すが、このようなニュースによって我が国の世論が形成されるとすれば、長期的に見た我が国の国益を損なう行為であるともいえよう。

オ その他

さらに言えば、科学や技術に関するマスコミの報道でも、"もう少し勉強してから報道したら"と思えるものが少なくない。"面白くするため"、"分かりやすくするため"に正確性を欠いた報道を行っているとすれば、もはやそれは報道とさえ言えないエンターテインメントであろう。


(2)大手企業が発信したフェイクニュースの例

ニュースではないが、近年の比較的大規模な"フェイク"で大手の企業がかかわった例として、家庭用空調機の"マイナスイオン"がある。もとより、マイナスイオンが健康によいなどとは、専門家は誰も信じてはいなかった。しかし、大手を含めて家庭用電気製品のメーカーで、自社の空調機に"マイナスイオン"が発生することを謳わなかったものはなかったと言ってよい。

家電メーカーにしても、当然のことながら、虚偽だとは分かっていたのだろう。だが、そう言わないと製品が売れないから、言い続けたのであろう。同情すべき余地はないわけではないが、嘘をついたことに違いはない。きわめて残念ことではあるが、これが我が国の有名電機メーカーの実態だったのである。

そして、この"マイナスイオンの効果"を、一時的とはいえ、かなりの国民が信じていたことも事実といってよいだろう。もしかすると、現在でもマイナスイオンの空調機が設置されている家庭では信じられているかもしれない。

なぜこのようなことが起きたのだろうか。いうまでもあるまい。大手メーカーが唱え、大手マスコミ各社が広告を流していたからである。これでは、信用するに足るものと多くの国民が考えるのも無理はない。専門家を多数かかえているであろう(と誰もが思う)大手のメーカーが唱えているのである。"根拠は専門家の誰かが確認しているのだろう"と思ったとしても無理はないのではなかろうか。

そして、"マイナスイオンの効果"になんの根拠もないということは、メーカーだけではなく、その広告を掲載していたマスコミ各社にもよく分かっていただろう。ところが、"マイナスイオンの効用"に根拠がないということについて、後に政府が家電メーカーに対して警告を発するまで、ほとんどの大手マスコミが口を閉ざしていたのである。

その理由は、これまた考えるまでもあるまい。家庭用電気製品のメーカーがマスコミ各社にとって大手の広告主であること以外に、いったい何があるというのだろうか。

この"マイナスイオンの効果"について広告を掲載していたことは、フェイクの伝達にはならないのだろうか。それは、広告だから自分たちの報道とは別だというなら詭弁であろう。少なくとも、自らの媒体で流す以上、その内容について、二義的にせよ一定の責任はあるのではなかろうか。

仮にそのことに責任がないとしても、少なくとも"社会的な強者に対する批判こそが自らのレゾンデートルだ"と言っている大手マスコミが、自らの広告主である企業のフェイクについては、批判をしようとはしなかったという事実は厳として存在しているのである。


(3)口コミによるフェイクニュースの例

また、口コミによる根拠のないフェイクニュースが、意外にも、かなりの社会的な地位のある人びとに信じられたという例がある。

製造者責任法(PL 法)が問題となっていた頃、口コミで奇妙な話が伝わったことがある。その話というのは、米国で、ある人物が、ペットの猫を電子レンジで乾かそうとして、その猫が死んだというところから始まる。それだけなら、たんなる動物の悲劇物語にすぎないのだが、この飼主が、電子レンジに注記がなかったことが電子レンジのメーカーの過失だとして、メーカーに対して多額の損害賠償を請求し、これを認める判決があったというのだ。そして、この話がかなり広く信じられているのである(※)

※ 例えば、平成6年6月3日の衆議院商工委員会で、甘利議員が"真偽不明"としてはいるが、この話を持ち出して政府に質問をしている。このとき、答弁した清川政府委員は一般論で答え、この事件には触れなかった。

また、印刷された例としては、京都府産業支援センターとして発刊されている「クリエイティブ京都 M&T」No.028(2007 年)が、とくに根拠は示さず、実話としてこの話を紹介している。この他にも、「IDEMA Japan News No.47」(2002 年3・4月号)や「予防時報」240(2010 年)などにも、個人の主張としてではあるが、やはり実話として紹介されている。なお「予防時報」については、地方公務員が座談会の中で発言しているのが注目される。

この頃、私は地方の労働基準局で安全衛生課長(現在の健康安全課長に該当する)を務めていたが、少なくない経営者団体の責任ある立場の方や、企業の法務部門の幹部の方からこの話を"実際にあったこと"として聞いたものである。

私は元の判決文を見たくなり、米国のどの裁判所がいつ出した判決かを調べてみた。しかし、まったく分からないのである。これだけ有名になった事件であり、しかも驚くべき内容の判決であるにもかかわらず、この判決を出した裁判所や判決日を示しているような、法学者の論文や政府・公的機関の報告書などの資料がどこにも見当たらないのである。それどころか、学術論文や信頼できる調査報告書などで、この判決を引用するものさえどこにもなかったのである。

つまり、どこにも判決の存在を示す「根拠」がないのである。

落ち着いて考えてみれば、いくら法制度の異なる米国のこととはいえ、あまりにも不自然な判決である(※)。その一方で、これだけ話題になっているにもかかわらず、国内で国際法や民法の法律学者が論文等に取り上げていないというのもおかしな話である。

※ これについて 2013 年4月に出された情報処理推進機構の「海外における IT 障害の影響及び対応等に関する事例調査」報告書の中に、デンマークにおける聞き取り調査中の話として、「猫を電子レンジに入れるのは消費者の側に問題がある」というような記載がある。もしかすると、デンマークでもこのような話があったのかもしれない。

もしかすると、"一犬が虚に吠えた"結果の誤報ではないかと思うようになってきた。そして、人間、誰しも考えることは同じと見えて、最近では、これは誤報だと多くの方が思うようになり、さすがに今では信じている人は少なくなってきたようである。

後に、親しくなった複数の法学者や弁護士の方に、この事件の存否について尋ねてみた。そのときの答えをまとめると、次のようなものになる。

① そのような判例が実際にあるという話は聞いたことがない

② ただし、地方レベルの裁判所の判例について、ないという証明をすることは難しい。

③ 仮に、ないということを確認するための調査をしようとすれば、かなりの費用を要するだろう。

確かにそれはその通りだと思う。しかし、これだけ有名になった話でありながら、誰もその裁判例の原典や信頼できる引用元を示していないのである。しかもネットでいくら検索してみても、根拠と言えるような資料がヒットしないのだ。要するに根拠がないという意味では、ネッシーや STAP 細胞と同じレベルの話なのである。やはり、合理的に考えれば、フェイクと考えるしかないのではなかろうか。

ところが、この可哀想な猫の話は、今でも信じている方がおられる(※)ことも事実なのだ。数年前のことだが、ある経営者の方とお話をしているときに、その経営者の方がその話を持ち出したので、"それは現実に起きた話ではないのではないでしょうか"と言ったところ、"実際にあったことですよ"と強く反論をされたことがある。

※ 平成 10 年5月 14 日に開催された国民生活審議会消費者政策部会消費者契約適正化委員会において、社団法人不動産流通経営協会の説明者が、この話を実話として委員に対して説明している。このときは委員の1人が、その話は実際に起きた話ではないと指摘したのだが、協会の説明者はとくに根拠を示さず「実話だと聞いている」と述べ、論争のような形になった。

私としては、拘る必要もないので反論もしなかったのだが、根拠のない口コミによる噂話の類であっても、それが信じられる土壌(PL 法への反感)さえあるなら、社会的に地位のある人物にでも容易に信じられるものなのだなと、やや怖くなったものである。


3 最後に

(1)根拠らしきものがなくてもフェイクニュースは信じられる

私は、本稿の冒頭で、事実と異なる国民の意識を形作る情報を"フェイクニュース"と位置付けた。

そこでも述べたように、このような意味で"フェイクニュース"を定義すると、それは、必ずしも意図的に作られるものだけには限られなくなる。作る側が、フェイクを真実であると考えている場合もあれば、たんなる誤解によってフェイクが真実として広まることもある。また、情報を作る側が意図したこととは異なる認識を国民の側に形作ったために、結果的にフェイクニュースとなるものもあるだろう。さらに、発信者がいない集団的な誤解が、フェイクニュースとなることもある。

"マイナスイオン"や"熊本地震の際のライオンの逃走"は、意図的なフェイクニュースの例であろう。大元の発信者は、それがフェイクであることを知っているのだ。しかし、これがフェイクであるとは知らない人々、量販店の店員や、SNS を見た人びとなどによって広まり、真実と誤解されるようになったのである。

"電子レンジで乾かされた猫"や"2000 年問題による大事故の発生"については、たぶん誰かの誤解から始まり、国内で誤解が増幅されて、フェイクニュースが拡大された例といえよう。

一方、"テロと IS の関係"や"北朝鮮の状況"については、本稿では情報を流す側が誤った情報を流す場合についてのみ紹介した。しかし、情報を流す側の意図とは異なる認識が国民の側に形作られた例もあろう。例えば、英国で起きたテロについて、IS が犯人を称賛する声明を出したとの報道が行われると、それはたんに IS が声明を出したというだけのことであるにもかかわらず、情報を受ける側がテロの主犯を IS であると誤解するようなケースもあるだろう。

さらには、"イスラム教徒"イコール"IS"というようなイメージが受け入れられてしまい、それがフェイクを増幅させたということもあるだろう。それは、"日本人"イコール"日本赤軍"というのと同じレベルの誤解にすぎないのだが。

本稿で挙げたフェイクニュースは、"熊本地震の際のライオンの逃走"を除けば、必ずしも正しい情報がどこかにあるわけではなく、簡単にはフェイクだとは分からないものである。そして、これらのフェイクニュースは、その根拠が示されているかどうかによって、以下のように分けることができる。

フェイクニュースの特徴 フェイクニュースの例
その根拠が、全く示されていないもの
  • マイナスイオンの健康への効果
  • 電子レンジで乾かされた猫と、民事賠償
  • 熊本地震の際のライオンの逃走
  • 状況証拠のようなものや感覚的なことは示されているが、因果関係の説明がなく、いきなり結論に結び付けられているもの
  • 欧米でのテロ行為と、IS によるかかわり
  • 北朝鮮の行動と、北朝鮮の国民感情や革命の可能性・戦争勃発のおそれなど
  • 小選挙区制度と金権選挙の防止
  • その"根拠"が示されてはいるが、専門的には誤りであるもの
  • 2000 年問題と大事故の発生
  • 下山事件の他殺説
  • STAP 細胞
  • このうち、③が①よりも信じられているかといえば、ここに挙げたフェイクニュースの例を見ても分かる通り、そのようなことはない。

    ①の"電子レンジで乾かされた猫"は、今でも一部の国民によって、米国で実際にそのような判決があったと信じられている。

    ②については、WEB で「北朝鮮 崩壊」「北朝鮮 内乱」「北朝鮮 戦争」などで検索すれば、さまざまな記事を見つけることができるが、その中には、今にも北朝鮮の政権が崩壊したり、内乱が起きたりするとの予測が記されているサイトも存在している。また、欧州におけるテロが、すべて IS によるものだと信じている国民も多いようである。

    すなわち、それらしい"根拠"などなくてもフェイクニュースは信じられるのである。


    (2)フェイクニュースに騙されないために

    ア フェイクニュースに騙されない必要性

    フェイクニュースは、ネットがなかった時代においても、この世の中にあふれていた。今後は、個人が情報の発信が可能な時代に入り、ますますフェイクニュースの問題は大きくなるだろう。

    フェイクニュースの中でも、"熊本地震の際のライオンの逃走"のようなものは、これを信じると避難活動の遅れによって自らの生命に危険を及ぼすおそれがあるばかりでなく、救助隊など他人の生命に深刻な危険を及ぼすおそれもある。

    このような大勢の人びとの生命や財産に大規模な損害をもたらすおそれのあるフェイクニュースであるにもかかわらず、20 歳の会社員によって簡単に発せられたのだ。報道によれば、犯人には、情報を用いて無差別に民間人の生命・財産を危険にさらす(テロ)などの意図はなかったようだ。

    しかし、この事件が教えてくれたことは、大災害時には、同種のフェイクニュースによってテロを起こすことも可能だということだ。我が国は、地震の発生国で都市部に人口が集中しており、大災害は今後も起こる可能性がある。その際に、安全な場所を危険だといい、危険な場場所に避難するよう誘導するような情報を流すことにより、我が国の国民の生命や財産を危険に陥れることも可能なのだ。問題は、そのようなことが専門的な知識なしにできてしまうことである。このような"情報テロ"にどのように対応するかを真剣に考える必要があろう。

    また、北朝鮮の情勢や IS の実力などについて誤った情報が国民の中に広まれば、我が国が他国との戦争に巻き込まれるおそれがあるとさえいえる。第二次世界大戦の遠因のひとつには、南京陥落で先勝パレードを行うような国民世論もあったのである。

    もし、あのとき、国民世論が強く戦争に反対していれば、関東軍の参謀たちも張作霖の爆殺や、柳条湖事件などを引き起こさなかった可能性もある。また盧溝橋事件も日中戦争につながらなかった可能性もあろう。

    さらに、下山事件のようなものでも、誤った情報を信じることは、我が国の政治を誤った方向へ導くおそれもあるのだ。

    フェイクニュースに騙されないことは、個人の問題であるばかりでなく、我が国が誤った方向へ向かったり、戦争が勃発したりすることを避けるためにも、きわめて重要なことなのである。それは、軍事大国となる潜在力を有する日本の国民としての責務でもあろう。

    イ フェイクニュースに騙されないためにどうするべきか

    (ア)根拠は何かを確認すること

    フェイクニュースに騙されないためには、日ごろからニュースに接するときには、その根拠と情報の出どころは何かということを考える訓練をしておくことが重要である。

    例えば、"マイナスイオン"や"電子レンジの中の猫"のような、そもそも根拠の示されていないフェイクニュースは、それだけで見分けがつく。それらの情報は、"正しいということを前提"として伝わってくるのである。

    マイナスイオンが流行っていた頃、空調機が故障したため量販店へ空調機の購入のために出かけたことがある。私は、マイナスイオンが健康に悪影響があるのではないか心配していた。そこで店員に尋ねてみた。

    そのときの会話は次のようなものだったと記憶している。ちなみに"店"とあるのは店員の答えである。

    • 私:マイナスイオンを発生させるとのことですが、それが人体に悪影響がないということは確認されているのですか。
    • 店:マイナスイオンは健康に良いのですよ。今、どこのメーカーも空調機はマイナスイオンを発生させるようにしています。
    • 私:ですから、人体に悪影響がないという確認はされているのですか。
    • 店:いいえ。健康に良いのです。健康に悪いものをメーカーがわざわざ発生させたりするはずはないでしょう。
    • 私:では、健康に良いという確認は誰がどのようにして行ったのですか。
    • 店:メーカーがきちんと調べています。マイナスイオンが健康に良いことは科学的に証明されていますよ。
    • 私:ですから、その科学的な証明というのは誰がどのような方法で行ったのですか。
    • 店:(パンフレットで何かを探してから)私は専門家ではないから分かりませんが、マイナスイオンが健康に良いことは確認されています。テレビでもよくやっていますよ。

    要するに会話が成り立っていないのだ。店員は、"マイナスイオン"が健康に良い影響を与えることは科学的な事実だと思っている。そして、その科学的な事実に異を唱える客(私)は科学的な思考ができない人間なのである。従って、科学的な事実を教えてあげればよいと思っている。

    しかし、私はその根拠が何かを知りたがっている。"メーカーがきちんと確認している"という内容を知りたいのだ。

    いずれにせよ私の疑問は、店員との会話では解消していない。そこで、WEB で調べてみたが、マイナスイオンが健康に良いという根拠はどこにも見当たらなかった。だとすれば、マイナスイオンが健康に良いなどということは、ネッシーやSTAP細胞と同じレベルの話なのだと考えるしかない。

    ある事実について根拠を確認するためには、少なくとも

    • ① 誰が確認したのか、
    • ② その誰かとは専門的な知識を有するものなのか、
    • ③ その誰かはどのような方法で確認したのか
    • ④ その説に反論をしている者はいないのか
    • ⑤ 反論があるとすればこの根拠は何か

    の5点を確認する必要があろう。そもそも、"マイナスイオン"や"電子レンジで乾かされた猫"の話は、①と③を確認するだけで、フェイクニュースの可能性がある(フェイクニュースと考えるしかない)ということがすぐにわかるのである。

    (イ)納得できる根拠のないことは事実だと思わないこと
    ① 北朝鮮報道について

    では、根拠らしきものが示されているフェイクニュースについてはどうであろうか。ごく最近まで、北朝鮮が崩壊するとか戦争が勃発するという情報がネットにあふれていた。「北朝鮮 崩壊」又は「北朝鮮 戦争」で WEB の検索サイトで検索してみると、北朝鮮の崩壊や戦争開始を予測する記事がいくらでもヒットする。個人が書いた記事ばかりではない。よく知られた報道機関のものもかなりヒットするのだ。

    それらが書かれた時期を調べてみるのは一興だ。そうすれば、2016 年の初め頃には、北朝鮮の崩壊や戦争がすぐにでも起きるという記事がいくらでも書かれていたことが判る。

    しかし、それらが公表されてから1年以上経過した現在でも、北朝鮮崩壊の予兆などどこにもないし、戦争の兆しもどこにも見当たらない。確かに、数か月前までトランプは空母を日本海に派遣していたし、最近でも日韓のそれぞれと合同で軍事演習を繰り返したりしている。一方の、金正恩も盛んにミサイル発射実験を繰り返すなど、危険な軍事力のアピール合戦を行ってはいる。

    しかし、米軍の空母は演習を終えると、金正恩がミサイルをさかんに打ち上げているさなかに日本海から去ってしまった。北朝鮮は、米空母が去った後になってしばらくしてから地対艦ミサイルの実験を行った。あまりに米空母が手際よくいなくなってしまったので、このような齟齬が出たのではないかという印象を受けるほどだ。金正恩は苦笑していたかもしれない。

    ところで、北朝鮮の内部情報については、かなり怪しげな情報が根拠とされていることがある。"匿名の北朝鮮政府の高官によると"だの"消息筋によると"などというものがかなりあるのだ。北朝鮮のような国家の内部情報の報道としては、やむを得ない面もないわけではない。

    むしろ、米国や日本においてさえ、政府筋からの情報については、匿名の政府職員の発言が"消息筋からの情報"として根拠に用いられることはある。ニュースソースの秘匿は報道機関の義務であり、だからこそ国民の知りたい情報が得られるという面はあるのだ。

    だが、"北朝鮮の政府筋の情報"というのは、どのようにして得られるのかがかなり疑問なのである。米国や日本であれば、任意に取材に応じる政府の職員もいるだろうし、記者が政府の高官との間に独自のルートを作ることも可能であろう。

    確かに、北朝鮮の場合にも、政府高官との間に独自のルートを確保することが不可能とは言えない。しかし、その政府高官あるいは"消息筋"はどのような方法で記者にその情報を伝えたのだろうか。日本と北朝鮮の間には国交がなく、日本には北朝鮮の大使館や領事館などはない。従って北朝鮮の高官や"消息筋"が日本国内で記者と接触したとすれば、朝鮮総連などの職員だとしか思えないのである。

    だが、朝鮮総連の職員で北朝鮮の内情(金正恩の都合の悪い情報)に通じているものがいるとすれば、北朝鮮と日本の間を頻繁に行き来しているか、北朝鮮の政府職員との関係が緊密な者であろう。そのような者は、当然、日本と北朝鮮の双方の政府からマークされているはずである。その状況で日本の記者に情報を流せるのかは、かなり疑問である。

    一方、ニュース源が北朝鮮国内にいるとすれば、日本の記者が中国かロシアへ行って電話をかけるか、日本から LINE やメールなどを用いるしかないであろう。しかし、電話は北朝鮮政府の盗聴の対象になっているであろうし、北朝鮮ではLINE やメールを用いること自体がかなり危険な行為である。いずれにせよ日本の記者に情報を正確に伝えることができるとは思えない。

    そうなると、次は、政府職員であった脱北者か、日本人の拉致被害者が、重要なニュース源になるかもしれない。しかし、脱北者は北朝鮮を実際以上に悪く言うリスクがあるし、拉致被害者は最近の状況には通じていない可能性がある。一般論としてならともかく、彼らから、直近の北朝鮮崩壊や戦争勃発の情報を得ることは困難だろう。

    すなわち、北朝鮮の内情に関する報道機関の情報は、どちら側のものについてもかなり不正確なおそれがあるのだ。また、それに基づいた"崩壊"の予測記事などもかなり正確性に欠けるということを理解しておいた方がよい。

    かつて、ベトナム戦争の初期のころ、米軍も北ベトナム政府でさえ、お互いの意図を読み間違えることがあったのである。残念ながら、日本の報道機関が国交のない国家の意図や実情を正確に把握することなど、不可能に近いといってよいのである。

    このように根拠について"本当か"と考えてみると、フェイクニュースの場合は、専門家の言であったとしても意外に疑問点が出てくるものである。

    北朝鮮問題のみならず、イスラムの原理主義者についても、アラブやテロに関するニュースをこまめに読んでいると、新聞の解説者程度の知識は身に付くものなのである。そうなると、いいかげんな解説については、間違い(フェイク)ではないかということが、意外に判るものなのである。

    ② 熊本地震におけるライオンの逃走

    また、"熊本地震の際のライオンの逃亡"に関しては、ライオンが街を歩いている写真が投稿されている。しかし、よく見るとこの写真はかなり不自然である。ライオンの影が道路上にあるが、影の形はかなり不自然だということが分かる。おそらく画像処理ソフトで影を書き加えたのだろう。

    また、望遠レンズは使っていないように見える。望遠レンズを使うと前後が近づいたような画像になるのだが、この写真にはそのようなことはない。そして、位置関係からみて撮影者は車道の右車線にいて撮影しているようだ。

    しかし、車の窓ガラスを通して撮影したのなら窓ガラスの映り込みが写りそうなものだが、そのようなものは写っていない。また車体、窓枠なども写っていない。ということは、車の中や建物の中から撮影したのではないということであろう。しかし、こんな写真が撮れるものだろうか?

    歩いていてライオンを見たら、一般の個人であれば、普通は写真を撮る前に逃げるだろう。ところが、ピントもあっており、手ぶれもない。つまり、この写真を撮ったのが投稿者だとすると、ライオンがすぐ近くに歩いているのをみて、落ち着いて写真を撮ったことになる。よほど豪胆な人物でなければあり得ないであろう。

    しかも、実際にライオンを見たのであれば投稿の文章も「うちの近くの動物園からライオン放たれたんだが」などという、伝聞のようなものにはならないのではないだろうか。「ライオンが道を歩いている」などといったものになるのが自然だろう。

    落ち着いて考えれば、かなり怪しげだとまでは分かるのである。怪しいと分かれば、可能ならラジオやネットで確認し、ライオンが逃げたなどという報道機関や地方自治体、警察などのニュースがなければフェイクだという可能性が高いと分かるであろう。

    (ウ)"政治的に正しいから事実だ"と思わないこと

    ある事実関係について、それが政治的に"正しい"と思えることと、その事実関係が真実かどうかとは別問題だということは誰にでも分かっていることではある。政治的な立場によって、ある歴史的な事実が異なるというのは、明らかに科学的ではない。しかし、私自身の経験では、このような考え方がされないことの方が実は多いようなのだ。

    下山事件は、自殺か他殺かという"事実関係"について、政治的な立場によって評価が分かれていたように思える。だが、自らの立場が保守だからとか革新だからという理由で、現に存在していた人物が亡くなった原因が、自殺が他殺になったり、他殺が自殺になったりするわけがない。

    しかしこのようなことは、我が国だけの現象ではない。世界的にみても様々な事件について"政治的な立場"と"事実関係"は結びついているのである。

    下山事件と同様、戦後の混乱期におきた"帝銀事件"についても、同様なことがいえるかもしれない。確かに、この事件には疑問点も多いが、少なくない人々は、その政治的な立場によって、平沢貞通が無罪なのか有罪なのかのいずれか一方の証拠しか見ないようでさえある。自らの"信念"と異なる証拠は、見ることや調べることさえ嫌がるのだ。だが、これでは、真実からは遠ざかるだけであろう。

    小選挙区制度などは、自らが少数勢力を支持しているのでない限り、少数勢力を排除して政権交代可能な2大政党制を導入できる制度として、優れた制度であると思えるかもしれない。

    しかしながら、我が国の場合、小選挙区制度導入当時には、そもそも政党としてはいくつかの政党があり、そのうちの1党がほぼ常に(相対)多数を占めていたのである。結果的に、その政党が常に国会内で絶対的な多数を占め、多数派が少数派を圧迫するだけの結果になる可能性はあったのだ。

    事実、小選挙区制度が導入後、かなりの長期間に渡って(社会党と自民党が連立した村山政権を除けば)政権交代は起こらなかったのである。また、実際に政権交代が実現してみると、新たに政権についた党は理想論によって掲げた公約や約束を実現することができなかったばかりか、行政機構を使いこなすことさえできなかったのである。政治・経済が停滞して、国民に不満を感じさせただけの結果に終わったのは皮肉であったというべきだろうか。

    このときの国民の不満によって、政権は再び元の政党に戻り、政権交代期のライバル政党の無能ぶりが、現在の政権の消極的な支持につながり、政権が盤石となるというばかばかしい結果になったのである。

    今では、政権交代期のライバル政党の無能ぶりが、現政権の貴重な財産になっている。要は、我が国にとって、小選挙区制度は、相対多数による絶対多数の確保(安定政権)を実現する結果となっただけなのだ。そして、そのことが強引な政治の一因となっていることは否定できないであろう。

    果たして、長期的に見た場合、少数勢力を国会から排除したことは我が国にとってよかったのであろうか。


    (3)多様な筆者による書物を読む習慣をつけること

    また、ときにはネットのみならず、活字になっている書籍を読むようにした方がよいと思う。そして、長大な教科書的な書物も読んだ方がよい。書物にはネットの細切れの情報とは異なる価値が含まれているものなのである。

    また、評論などについては、右から左までできるだけ多くの考え方の著書に接する方がよい。残念ながら、わが国ではリベラルは保守派の書物を読みたがらず、保守派はリベラルの書物を読むことさえ嫌う傾向があるようだ。

    しかし私自身、保守の側では例えば、源田実氏や佐々敦之氏の著書には学ぶべきものが多いと思う。一方、リベラルの書物としては齋藤貴男氏や共産党の幹部の書物などにも考えさせられるものが多い。

    最近では、重信メイ氏の「アラブの春の正体」には考えさせられるものが多かった。重信氏の本を読んでいるなどというと、保守派の中には露骨に嫌な顔をされる方もいるが、やはり青年期を実際にレバノンでレバノン人として過ごした筆者のアラブ世界に対する見方は、日本人記者の及ばないところがあると思えたものだ。


    (4)フェイクニュースは存在することを前提に考えるべき

    今後、我々は情報社会の中で、あふれる情報の中から正しいと思われるものを自己責任で探してゆかなければならないところにきている。フェイクニュースは、作成者がフェイクだと認識しているものも認識していないもののいずれについても、なくすことはできないと考えた方がよい。

    最近、いくつかの地方自治体で北朝鮮のミサイルが飛翔した場合の訓練を行ったケースがある。これを見て、戦前の"竹槍訓練"や空襲に備えた"バケツリレー"をイメージしたのは私だけだったろうか。このような無意味な訓練をするコストがあるのなら、フェイクニュース対策にかける方がよほど有意義であろう。

    この避難訓練のニュースを見て、一番喜んでいるのは、他ならぬ金正恩であろう。ミサイル発射の政治的なデモンストレーションが成功しているという証拠だからである。

    現代社会のように、情報の溢れた社会においては、必要な情報を得ることも重要であるが、同時にフェイクを見破ることもまた重要であると言えよう。