菅総理の恐怖政治の方向


菅総理は就任後、真っ先にしたことが、自分の決定に反対する役員は飛ばすと宣言することでした。次には、学術会議から自らの意に反する学者を排除するという挙に出ました。

これでは、菅総理が過ちを犯しても誤りを正してくれる行政官はいなくなってしまいます。

自らは絶対に正しいという信念があるのかもしれませんが、これではリーダとしての資質に欠け、日本の行く末を誤るというより他はありません。




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1 菅総理の最初の仕事は恐怖感をふりまくことだった

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最終修正:

筆者:平児


(1)自分に逆らう者は排除すると宣言​

菅総理が就任後に最初にしたことは、官僚に対して恐怖感を植え付ることだったように思える。官僚に対して、政府の方針に異を唱える者は異動してもらう(左遷する)と、宣言したのだ。

これは、自分は(間接的にだが)国民によって選ばれているのだから、行政機関は自分の意志に従えということである。形式的には、これは正しいことである。だが、実務では、正しいことが常に正しいとは限らないのだ。


(2)学術会議への人事介入​

そして、次にしたことが学術会議に対する人事介入だった。これは、任命拒否された顔ぶれを見れば目的は明らかである。政府に批判的な学者を排除したのだ。自らに批判的な者の意見を聴く気はない、あるいは政府に対して意見を言わせないと公言して見せたのだ。

これは、同時に、官僚機構に対するメッセージでもあったのだろう。「俺に逆らうとどうなるか、これで分かったろう」というわけだ。

これは、きわめて問題のある行為だった。学術会議は行政機関ではない。これまでも、様ざまな社会問題について、会員は手弁当で様々な報告書を取りまとめてきたが、科学的な立場から政府に批判的なことも言ってきた。

耳に痛いことは聞かないというなら、行政機関のトップとしての資質が疑われる。科学的な判断を政治によって抑えれば、国の健全な発展は阻害されるだろう。地動説を唱えるガリレオを排除した前近代の皇帝と同じことである。

この人事介入に対し、SNS、野党、マスコミの反応は早かった。一斉にこれを批判し、あるいは疑問を投げかけたのである。これは当然のことと言えよう。

これに対し、菅総理の側は驚くべき方法で対応する。政府に近い立場の学者が、学術会議に関するフェイクをTVで主張し、学術会議は利益団体であるかのごとき印象を国民に植え付けようとしたのである。

ネトウヨしか読まないヘイト雑誌にフェイクを書くのとは訳が違う。当然のことながら、すぐにばれたが、誤った印象を国民に植え付けることには一定程度成功したのである。ここまでくると、なりふり構わずだ。


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2 自ら裸の王様になるのか​

(1)コロナ禍への対応で専門家や野党の主張を無視した​安倍政権の失敗

安倍前総理が無能な人材だったことは、その政権末期のコロナ禍で明確に証明された。この人物は、政権のトップとして、ほぼなすところはなかったのである。

やったことと言えば、独断で決めた学校の一斉休校、誰も使わないアベノマスクの配布、外出自粛の国民への呼びかけくらいだったのである。

諸外国の多くが、PCR検査を徹底することで感染を押さえようとしたのに対し、安倍氏は検査の拡大の方を抑えようとして、感染を蔓延させてしまう。また、感染者数が少ない内に、補償で安心させた上で徹底した休業措置もとるべきだったにもかかわらず、兵力の逐次投入ともいうべき対応を行い、感染を拡大させてしまう。

その原因は、批判派を含めた各界の知識を結集して、何ができるか、何をなすべきかを検討しようとせず、独断で動こうとしたことが原因であろう。野党や専門家の呼びかけを、全くと言ってよいほど無視した結果がこれである。

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(2)批判派の意見を排除することはリスクが高い行為だ​

秦の始皇帝の死去後に宮廷で権力を把握した趙高は、群臣と二世皇帝に馬を見せて、これは鹿だと宣言した。そして、これは馬だと言った高官をすべて(他の理由をつけて)処刑してしまうのである。その報いは大きかった。その後、圧政に耐えかねた陳勝・呉広の乱をきっかけに各地で反乱が燎原の炎のごとく燃え盛ったにも拘わらず、都合の悪い事実が宮廷に報告されず、また優秀な軍人が処刑されていたため、有効な鎮圧もできず、さしもの秦帝国もあっさりと滅亡してしまう。

これに対し、唐の太宗李世民は、西遊記でも紹介されている玄武門の変で政権を握ると、打倒した李健成と元吉の優秀な臣下を重用するのである。その中には、李健成に「李世民を殺害せよ」と助言していた魏徴のような人物も含まれていた。

優秀な人材であれば、過去は問わずに活用したのである。李世民は、権力を把握すると、魏徴らの自らに批判的な意見も聴き、唐の長期政権の基礎を確立するのである。

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(3)批判を聴かなければ裸の王様になるだけだ​

菅総理のこれまでの執務ぶりを見る限り、批判派の意見を取り入れて、幅広い政治運営のできる人物ではないようだ。かなり、人間として狭量ぶりがみえるのである。

そして、どうも批判派の意見をないものとしたいように見えるのである。これでは、個人商店の店主なら適任かもしれないが、一国の総理としては相応しくないというしかない。

だが、それにしても最近の自民党の人材のレベルの低さはどうなのだろう。公私の区別がつかないばかりか無能で無知な安倍氏の次は、批判派の意見を聴けない菅氏とは。他にも、セクハラ発言の麻生氏や、ブロック太郎ともいわれる河野氏など、どうしてこうも自民党の中枢は質が落ちてしまったのだろう。

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3 菅総理が批判派の意見を無視するなら日本のリスクである

菅総理が、ここまで批判派の意見を聴けないのであれば、それは日本国民にとってのリスクだとしか言いようがない。

まず、第一に批判派が排除されるということは、それだけ日本の国力が弱体化するということである。右翼的な思想の持主だけが優秀で左翼的な知識の持ち主はそうではないなどという事実はないのだ。

さらに、菅総理が間違いを犯したときに、それを周囲の者や部下が批判しなければ、破滅の道に進むこともあり得る。

第二次大戦に突入するとき、批判派を「非国民」として排除し、批判ができないような状況にした結果が、我が国と周辺諸国に甚大な被害をもたらしたのである。

そろそろ気付くべき時かもしれない。自民党は、もはや日本国民にとってリスクでしかなくなっているのである。