精神主義で五輪開催の危険


共産党の志位委員長が、党首討論で「五輪で感染拡大の危険があるのなぜ五輪を実施するのか」と問うたのに、菅総理は根拠を示さずに「国民の命を守れなくなったら開かない」と答えています。

これは「国民の命は守れる」といいたいのでしょうが、「国民の命は守れる」という状況についての説明もなければ、その科学的な根拠も示されていません。「私は期待している」という精神主義で五輪開催を行おうとするものであり、極めて危険です。

「国民の生命を守れる」という科学的な根拠も示せない五輪開催は中止する必要があります。




1 党首討論での志位委員長と菅総理の質疑

執筆日時:

筆者:平児

共産党の志位委員長の党首討論に注目が集まっている。報道等(※)によると、次のような質疑が行われているのである。

※ 討論の内容は、日刊スポーツ2021年6月9日「共産志位委員長「五輪開催の理由」菅首相「命守る」党首討論詳細<4>」、しんぶん赤旗2021年6月10日「党首討論 首相、五輪開催の理由語れず」など参照

【志位書記長と菅総理の質疑】

  • 志位委員長:政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は「東京五輪・パラリンピックを開催すれば、今より感染リスクが高くなるのは普通だ。開催するならリスクを最小限にすることが必要だが、ゼロにはできない」と述べた。五輪開催で新たな感染拡大の波が起こる危険がある。そうまでして開催しなければならない理由は何か
  • 菅総理:尾身氏とは、西村康稔経済再生担当相が毎日のように緊密に意見交換し、私も報告を受けている。当然、尾身氏の意見も参考にして感染対策を詰めることになる。
  • 志位:私が聞いたのは、命をリスクにさらしてまで五輪を開催しなければならない理由だ。感染対策をいくらやっても、リスクをゼロにはできない。
  • 菅総理:国民の命と安全を守るのが私の責務だ。国民の命を守れなくなったら開かない。これは当然だ。それが前提だと先般申し上げた。
  • 志位:明らかにリスクが増える状況下でなぜ開催するのか理由を聞いたが答えがない。国民の命よりも大事なものはない。国民の命をギャンブルにかけるようなことは絶対にやるべきじゃない。五輪を中止し、あらゆる力を新型コロナ収束に集中させるべきだ。

※ 日刊スポーツ2021年6月9日「共産志位委員長「五輪開催の理由」菅首相「命守る」党首討論詳細<4>」。下線強調は引用者

共産党のYouTubeに動画が掲載されているので関心のある方は参照して頂きたい。

※ 「首相、五輪開催の理由語れず #志位委員長 中止迫る 2021.6.9」より

これを視れば分かるように、菅総理は、ほとんど志位委員長の質問にまともに答えていないのである。このため、SNSでも多くの批判が起きた(※)

※ 濱田浩一郎「党首討論は共産党・志位委員長が一番良かった」(アゴラ2021年6月11日)、IWJ「6月7日の参院決算委で「国民の命と健康を守れなければ五輪開催しない」と強弁した菅義偉総理を、6月9日の国会での党首討論で立憲・枝野幸男代表と共産・志位和夫委員長が追及! 五輪開催の理由を聞かれて「逆ギレ」するだけで理由を口にしなかった総理は記者会見で「私の考え方を丁寧に説明させていただけた」!? 2021.6.11」など


2 科学的な説明をしない菅総理

(1)「国民の命を守れる」状況とはどのような状況か

好意的に見れば、菅総理が「国民の命を守れなくなったら開かない。これは当然だ」と答えているのは、「国民の命を守れるから実施するのだ」と答えたと考えることもできよう。ただ、最大の問題は、その根拠が示されていないことだろう。

志位委員長は、尾身氏の「リスクを最小限にすることが必要だが、ゼロにはできない」という言葉を引用している。これに対して菅総理は反論していないのである。

まず「国民の命を守れる」というなら、その「守れる」状況とはどのような状況なのかを説明するべきである。「感染者数の増加がない」というのか「死者数の増加がない」というのか、それとも「感染者数が〇〇人以内にとどまる」というのか「死者数が〇〇人以内になる」というのか。菅総理は、無責任にも、それさえ示していないのである。

すなわち、開催するための「基準」を示していないのである。まず、この基準が示されなければ、まともな議論にならないのである。

開催するなら「感染者数の増加、死者数の増加は〇〇人以下になる」が、一方「開催したときのメリットはこれだけ」である。従って、メリットがデメリットを上回るから開催するというのでなければならない。

そこではじめて、その利益衡量が正しいのか、また、メリット、デメリットの予測が正しいのかの議論になるのである。


(2)「国民の命を守れる」科学的な根拠が示されていない

百歩譲って、菅総理の言う「国民の命を守れなくなったら開かない。これは当然だ」という答弁が、「感染者の増加、死者数の増加はない(だから開催するのだ)」という意味であるとすれば、確かに、質問には答えているのかもしれない。

しかし、その科学的な根拠が全く示されていないのである。これまでも、五輪の開催と感染者数の増加についての科学的な根拠や予測は、政府から何一つ示されていないのだ(※)

※ これについては、本サイトの「橋本聖子氏のフェイク」を参照して頂きたい。

科学的な根拠もなく、「国民の命は守れる」と主張しても国民は信用できない。現に尾身氏自身が、「東京五輪・パラリンピックを開催すれば、今より感染リスクが高くなるのは普通だ」と述べているのである。そうではないというなら、その根拠を示すべきであろう。


3 リスク管理のできていない五輪は実施するべきではない

このようにみてくると、菅総理は五輪の開催による感染者拡大についてのリスク管理ができていないというしかない。

五輪開催の基準も定めていなければ、感染者数拡大の予測もしていなければ、リスクと利益の衡量もしていないのである。

まさに志位委員長のいうように「国民の命をギャンブルにかけるようなことは絶対にやるべきじゃない」のである。「アイ・ホープ・ソウ」で「命は守れる」と言うべきではないのである。

平児は、国民の死者数が増加する恐れがあるなら、五輪は開催するべきではないと思っている。菅総理も同じだというのなら、国民の死者数が増加しないという科学的な根拠を示すべきである。

それができないなら、五輪はただちに中止するべきだ。