デジタル庁の危険性


菅政権の「目玉商品」のひとつにデジタル庁の設置があります。ところがその目的がほとんど見えてきません。しかし、様々なビッグデータをマイナンバーと組み合わせることにより政府は国民の個人情報を知ることになりかねません。

政府機関が、国民を監視し、政府に都合の悪い言論活動を行う国民の弱みをさぐるおそれがあります。安倍前総理、菅現総理の反対派に対する陰湿な言動を考えれば、杞憂とばかりは言い切れないでしょう。




​​​​

1 降ってわいたデジタル庁

執筆日時:

最終修正:

筆者:平児

​​​

菅総理が就任の際にデジタル化の推進と言い出し、デジタル庁設置が政府の大きな政策となっている。ところが、国の大きな政策という割に、何をするのかがほとんど見えてこないのだ。民主主義国家の政府としては奇妙なことと言わざるを得ない。

菅総理の言っているところは、①国と自治体のデジタルシステムの統一化・標準化、②マイナンバーカードの普及促進、③ネットを通した行政手続の可能化、④オンライン診療やデジタル教育の推進などである。しかし、いずれも、具体性が見えないのである。

結局のところ、菅総理がデジタル化の大号令の下で行ったことで、具体的な中身を持つことと言えば、政府に対して提出する文書の様式から印影を除いたことだけである。あとは、これまでも自民党政権が進めてきて、ほとんど成功していないことばかりなのである。

ただ、印影の廃止と言っても、紙で提出する書類から印影をなくすだけなら、国民にとって、ほとんど利便性のない改正である。また、紙の書類にハンコを押さないこととデジタル化とは、なんの関係もない。電子データでの提出につながらない限り、デジタル化などとは言えないことは当然である。


​​​​

2 e-ジャパンの失敗を学んでいるのか

かつて2000年の150回国会で、森総理(当時)が所信表明で「e-ジャパン」という言葉を使って、意味不明と批判を浴びたことがある。実を言えば、そのとき既に、森総理の指示の下、政府は国民や企業から提出されるほとんどの書類を、ネットを介して受け付けできるシステムを構築しているのである。

ただ、その結果は散々なものだった。政府に文書を電子データで提出するには、電子署名の必要があり、これを利用するハードルが高すぎて、政府が膨大な費用をかけたにも拘わらず、ほとんど利用されなかったのである。

問題点や利便性を洗い出すなどの検討を行わず、トップダウンで、とにかく「実施ありき」で批判を許さず強硬に推し進めた結果、できることはできたが使いものにならないシステムが出来上がったのである。


​​​​

3 今回も十分な検討が行われていないのではないか

少なくとも、これまでの制度を大きく変えようというなら、批判的な意見を含めて多くの専門家や実務家の意見を聴いて、問題点を十分に洗い出さなければならない。ところが、菅総理は「反対する者は排除する」と明言している人物である。

例えば、国と地方自治体のシステムを共通化すると言う。しかし、統一化にはデータ移行が伴うのである。その際の入力ミスで大混乱をきたすことになるだろう。また、各地方自治体は長い年月をかけてそれぞれに使いやすいシステムを構築しているのである。共通システムでシステム化されない部分を手業で行わなければならなくなることも考えられ、現場の業務量の急増が目に見えている。

ところが、官僚にとって、問題点を指摘することが左遷のリスクとなる菅政権の現状では、都合の悪い事実は総理には届かなくなっている可能性がある。そうなれば、e-ジャパンの二の舞になるだけだろう。しかも、菅総理自身がデジタル化について十分には分かっていないようなのだ。そのことは、今に至るも“ハンコをなくす”ことと、マイナカードの活用以外、何も発表されないことからも分かろうというものだ。

2020年の前半、政府の発表するコロナの感染者数がまったく信用できない数字だったことを覚えておられる方も多いだろう。政府は、各保健所からのデータを手作業によって求めたため、報告漏れや誤報告が相次いだのである。結局、厚生労働省は、各県のホームページの数値を手作業で足し合わせるという方法に切り替えた。各地方自治体の実情に疎い「専門家」が共通システムを作れば、各地方自治体では二重にシステムが使われて、共通システムについて同じようなことが起きないとも限らないのである。

だから、今回も、国民の巨額の血税が無駄になる可能性があることをまず指摘しておこう。だが、本当の問題は、もっと別なところにあり、さらに深刻なものなのだ。


​​​​

4 国民にとってデジタル化は利益にならない

確かに、政府が国民の状況を把握して、税金の過払いなどで国民に還付すべきものなどを“自動的に”払ってくれるというなら、歓迎すべきことかもしれない。しかし、実際は、とる方は確実にとられるようになるだけで、政府に支払いを求めるときは、複雑な資料を分かりにくいマニュアルを見ながら作らなければならない実態が変わるとは思えない。

今でも、確定申告で医療費還付を求めるために、電子申請を行うには領収書をいちいち画面に向って打ち込まなければならない。そんなことなら、表計算ソフトを使って書類で提出する方がはるかに簡単なのである。

また、マイナカードが運転免許証などの代わりになるからと言って、それがどれだけ便利になるというのだろうか。運転免許証くらい、常に財布の中に放り込んでおけば済むのである。

東京保険医協会も、「[主張]菅新政権の政策を問う~デジタル庁への懸念~」において、マイナンバーカードが普及しない最大の理由は「国民にとってメリットがないことだろう」と指摘している。

要するに、国民にとってはデジタル化などありがたくもないのだ。それは、政府にとってのみ有益なものなのだ。


​​​​

5 情報がすべて政府に筒抜けになってよいのか

さらに、その正体が明らかでない“デジタル化”という言葉には、限りなく胡散臭いものを感じる。

例えば、政府はこれまでキャッシュレス化を進めてきた。これは、使いようによっては、国民がどのように収入を得て、どのように支出したかを、政府が把握できるようにするための手段になるのだ。

また、マイナカードとIC乗車券が統一されればどうなるだろうか。極端なことを言えば、誰が、いつ、どこへ行ったかという情報が政府に筒抜けになってしまう。これらのデータを組み合わせて分析すれば、誰がどのような政治集会に出たかまで政府に分かることになる。
ある種の政治活動が何度か行われているとしよう。それが行われる時間に、その場所の最寄り駅で何度も降車している国民がいれば、その政治活動に参加していると推測できるのだ。

毎日新聞記事「個人情報の国家集中管理 監視社会よぶデジタル法案」も政府による監視社会の現実化を指摘している。

自由法曹団の「行政のデジタル化等の急進による個人情報保護制度の改悪に反対する」や共謀罪対策弁護団の「監視社会の進展を加速化するデジタル庁創設計画への疑問を提起し、プライバシー保護のための独立監視機関の設立を求める」もデジタル化への懸念を示している。

デジタル化などという、抽象的な言葉で、菅総理が何をしようとしているのか、国民はきちんと監視する必要があることを指摘しておきたい。