新潮45杉田氏擁護特集批判


新潮45の杉田水脈議員によるヘイト文章について、同誌が「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」を載せて炎上しています。

擁護記事を書いた7人の執筆者の記事は、杉田議員への批判にまともに答えておらず、新たな差別記事になっているものもあります。

これらの擁護記事について、詳細かつ論理的に批判を行います。




1 はじめに

執筆日時:

最終修正:

筆者:柳川


(1)新潮45が杉田議員擁護の特集を掲載

朝日新聞(※)が、新潮45の10月号が、杉田議員の8月号の差別論文を擁護する記事を掲載するという報道を行った。ちょうど杉田議員擁護派への批判記事「杉田議員のLGBT差別発言の行きつくところ=杉田議員を擁護する徳島文理大学八幡教授の哀れな主張」を本サイトへアップしたところだったので、新潮45が公式に反論を雑誌に載せるのであれば、もう少しましなことが書かれるのだろうなと思った。

※ 2018年9月16日朝日新聞DIGITAL記事「杉田水脈氏への批判は「見当外れ」 新潮45が掲載へ」

そこで、これは批判記事を書かなければと思い、図書館で借りて読んでみた。買うわけにはいかない。この雑誌はそもそもその価格に値しないばかりでなく、このような差別記事を何度も載せる新潮社に多少なりとも利益をもたらしたくはないからである。

ところが、内容を見て驚いた。ネットに挙げられている杉田議員擁護派の記事とさして変わらないのである。よく、こんな記事を新潮社が雑誌に載せたなと思えるような差別と偏見に満ちた記事も含まれており、またほとんどの記事が杉田議員への批判に対するやや見当はずれな再批判をしているだけで、まったく杉田議員の擁護にさえなっていないのである。

一気に批判する気が失せたが、こんなものでも現在のLGBTに対する差別の見本市のような面があることも事実である。悪影響を与えることはあり得るだろう。

また、内容を見る限り執筆陣は杉田議員に近い方々が多いように見受けられる。であれば、小川氏の論文を始めとして、杉田議員や安倍総理の考えと同じ(※)だと考えてよかろう。

※ 安倍総理は杉田議員を「すばらしい」と評価しておられる。杉田議員の考えは安倍総理と一致しているのであろう。

そこで、これについても批判を加えておくこととする。


(2)発売後1日で批判の嵐が

ところで、10月号が発売されたその当日から、ネットには批判の嵐が吹き始めた。発売当日の9月18日にキャリコネニュースが「新潮45『そんなにおかしいか杉田水脈論文』の内容が凄まじい『性的嗜好について語るのは迷惑』『LGBTはふざけた概念』」、19日にはYAHOOニュースが「杉田論文『そんなにおかしいか』新潮45の反論が再び大炎上 絶滅していく紙メディア『最期の咆哮』」をアップした。

翌20日になるとさらにBUSINESS INSIDERが「杉田水脈発言擁護は言論の自由ではないーー新潮社を作家や他社も批判、購買や仕入れ中止の動きも」をアップし、9月22日にはHUFFPOSTが、「『新潮45』寄稿文の危険性、専門家が指摘 痴漢とLGBTの権利をなぜ比べるのか」をアップした。

一般の報道機関でも、同19日には、共同通信が「『新潮45』に批判広がる 10月号に非難への反発を特集」という記事を配信した。さらに、報道機関以外でも、新潮の不買宣言がツイートされたり、作家が新潮には書かないと宣言したり、乙武氏が新潮前でハンストをしようかと思ったと発言するなど、批判の嵐は収まる気配を見せない。

そんな中、AERAdotが「新潮45『杉田論文特集』が"炎上商法"で売り上げ倍増 高橋源一郎氏らが続々と批判」と、これが新潮の"炎上商法"であると指摘した(※)。炎上商法が悪いとは言わないが、他人を傷つけて稼ぐようなことをしているのであれば、許しがたい行為である。

※ かつて三流の週刊誌が売り上げを一時的に伸ばすために、創価学会批判や共産党批判記事を載せることがあった。創価学会批判記事を載せると創価学会員が購入し、共産党批判を載せると共産党員が購入するため売り上げが一時的に伸びるという期待があったのである。しかし、最近では、創価学会員も共産党員もその辺の事情は分かっているので、誰も購入しようなどとはしなくなっている。

今回の新潮45の記事は、LGBTの方の購入をねらった新潮社の企業としての戦略なのかもしれないという印象を受ける。


(3)新潮45が休刊へ

ア 社長の唐突な声明

そうこうしているうちに本家本元の新潮社の別部門の正式アカウントが批判的な意見をリツイートし始めた。私は、これは新潮社が、一方では"炎上商法"で稼ぎながら、その一方で不買運動などを受けないように、自作自演で批判するという見え透いた手を使っているのだろうと思った。

ところが、新潮社の社長までが「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられました」と言い出したのである。もっとも、このときの社長の言葉には謝罪の言葉は含まれておらず、どの部分が「常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」なのかの指摘もなかった。

つまり、会社としての公式な謝罪広告などではなかったのである。ネットでは「ダメージを受けたためのポーズだ」という冷めた見方も見受けられた。多くの報道機関も、同様に批判的な目で見ていたようだ。

イ 突然の休刊

そして、発売から一週間後の9月25日、新潮社は新潮45の休刊をいきなり発表したのである。だが、8月号の杉田議員による寄稿を批判する人々は、私もそうだが、新潮社のこの対応に釈然としないものを感じているのではないだろうか。

結局のところ、休刊のお知らせには、「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」を掲載するという「事態を招いたことについておわび致します」とされているだけである。要するに「ミス」があったとしているだけでLGBTの方に対して差別を行ったことについての反省や謝罪はないのである。

さらには、「これまでご支援・ご協力いただいた読者や関係者の方々には感謝の気持ちと、申し訳ないという思いしかありません」と、わざわざ「これまでご支援・ご協力いただいた読者や関係者の方々」に限定して謝罪し、LGBTの方に対する謝罪をことさらに避けている。

これでは、新潮社への不買運動や、作家の離反が続いたので、良い機会でもあるとばかりに、赤字の雑誌を休刊にしただけではないかと思われてもしかたがないだろう。

ウ 弊害はそのままである

しかも、新潮45によって垂れ流された差別と偏見はそのままなのである。新潮社は、LGBTに対する差別解消のために何かをやろうとはしていない。また、10月号も、その後の休刊を宣言したとたんに売り切れ状態になっているようだ。

さらに杉田議員は、差別文書の内容について否定しようとも、謝罪しようともしていない。そればかりか、TBSラジオの9月20日付の音声配信(※1)に、杉田議員がまったく反省をしていないことを示す杉田議員自身の音声が記録されている(※2)

※1 TBSラジオ「【音声配信】『新潮45』で話題の自民党・杉田水脈議員。イベントに登壇して何を語ったのか?荻上チキが取材・レポート▼2018年9月19日(水)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」)」の後半による。

※2 詳細は、当サイトの「杉田議員による"生産性発言"にみる人権思想の破壊を憂う」に記しておく。

【杉田議員の9月19日の会合での発言】

先日ですね。あの、広島の方にあの講演にまいりまして、あのー広島と言えば、まだあのぉ西日本の大豪雨の爪痕がたくさん残っているということで、あの、会場の皆様に

「皆さん、大丈夫ですかぁ」

というふうに最初に問いかけますと、

「いやいやあなたが大丈夫ですか」

と(杉田議員の笑い声)、あの、いうような、あの、お返事いただいたんですけれども、

大変、ご心配をおかけしておりますけれども、あの、見てのとおり、わたくし大丈夫でございますので」

あのぉ、(会場からの拍手に応えて)どうもありがとうございます。とは言え、あのぉ、私は、今も、あのぉ、しっかりと真実を皆さんに発信をさせていただくということの姿勢には、今までと変わりはありません。あのぉ、今回も8月16、17とジュネーブの国連の方に行ってまいりました。

えーこういった歴史戦の最前線の話とか。また、あの、今ちょっとね、SNSの発信ができないので、書けないんですけれども、あっ、今月発売のHANADAには、そのことは詳しく書かせていただいております。(拍手)ありがとうございます。こういった形で、またいろいろ皆さんの前でお話をさせていただける場におきましては、しっかりと情報発信をしてまいりたいと思います(以下略)

まったく反省などしていないのである。そればかりか、これからも差別発言を繰り返してゆくともとれる宣言をしているのである。

新潮45の一連の記事に対する、丁寧な批判をしてゆくことの重要性は、まったく減じていないというべきだ。


2 新潮45の記事を批判する。

(1)藤岡信勝氏(前提が誤っており意味をなさない文書)

新潮45の特集は、冒頭に藤岡信勝氏の「LGBTと『生産性』の意味」を載せる。この文書は前提として挙げられた3つの事項が誤っており、全体として意味をなしていない。以下、詳細に述べよう。

ア 誤った前提

(ア)生産性という言葉そのものが問題なのではない

藤岡氏は、冒頭で次のように述べられる。

【藤岡信勝「LGBTと『生産性』の意味」(新潮45 2018年10月号)】

自由民主党の杉田水脈議員は(中略)「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」と書いた。ここにある「生産性」というたったひとつの言葉を巡って、約一か月にわたり、主要メディアを挙げてのパッシング騒ぎが展開された。

まずここが藤岡氏の誤りである。杉田議員がなぜ批判を受けているのかについて、まったく理解できていないのである。主要メディアの批判や、自民党本部前での抗議は、「生産性」という言葉それ自体を問題にしているわけではない。

LGBTの方は、子どもができないということについて苦しみぬいているのである。とりわけ我が国には戸籍の性別を転換するためには生殖能力があってはならないという、近代国家にあるまじき悪法が存在している。トランスジェンダーの方が戸籍の性別を変更しようとすれば、その生殖能力をなくさなければならない。

そのような状況であるにもかかわらず、LGBTの方に対して差別的な文脈の中で、子どもが生まれないことについて"生産性"という言葉を投げつけ、その傷に塩を塗るようなことをしたことが、杉田議員の寄稿の第一の問題なのである。

また、国家にとっての"生産性"の有無によって税を使うかどうかを決めるべきとした差別発言や、「LGBTは存在して欲しくない」という文書全体の趣旨を、我々は問題にしているのである。

すなわち、そもそも藤岡氏の論述の最も大きな前提が間違っているので、その後の文章もまったく意味をなさないものになっているのである。

(イ)尾辻議員が誤読したという批判について

また、藤岡氏は、尾辻議員が「(杉田議員が)子供を持たない、もてない人間は『生産性』がない(と述べた)」(※)とツイッターに書いたことが原因でネットが炎上したと述べておられる。

※ カッコ内の補足は柳川による

藤岡氏によると、これは誤読で、杉田議員は、LGBTの人たちについて「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない」としたのであって、「杉田氏は『子どもを持たない、もてない人間』一般のことなど論じていない」のだそうだ。

しかし、朝日新聞によると、杉田議員の最大の擁護者である安倍総理自身が「自身が子宝に恵まれなかったことに触れ、『生産性がないと言われると、大変つらい思いに私も妻もなる』と語った」(※)とされている。これは、杉田議員を処分しない理由付けとして、自分も辛いのだと言って見せたわけだが、「生産性」という言葉がLGBTの方だけに向けられたものではないと杉田議員の最大の擁護者が主張しているのである。

※ 2018年9月18日時事通信記事「杉田氏不処分「若いから」=安倍首相」による。

そもそも、仮にLGBTの方についてのみ「生産性」という言葉を用いているのだとすれば、かえって差別の悪質性は大きいと言わざるを得ないのである。どちらにしてもヘイトであるという意味では変わりはないのである。杉田議員に対する擁護としては、まったく意味のない議論と言わざるを得ない。

(ウ)尾辻議員は誤読などしていない

なお、尾辻議員の名誉のために付け加えておけば、尾辻議員は誤読などしていない。杉田議員は、明確に次のように述べておられる。

【新潮45の杉田議員の発言より】

LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか

これを読めば分かるように、明確に、「子供を作らない」こと一般について「『生産性』がない」と言い切っておられるのである。分かりにくければ次のように言い替えてみよう。

【杉田議員の論理だては】

蜜柑のために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。それは果物、つまり「フルーツ」なのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか

杉田議員の論理だては、これと全く同じである。要は、果物一般について「フルーツ」だと言い、「フルーツ」について税金を投入することがいいのかどうかと述べているのである。尾辻議員は誤読などしていない。誤読をしているのは藤岡氏の方である。

(エ)尾辻議員のツイートでネットが炎上したのではない

また、藤岡氏は、尾辻議員のツイートがきっかけでネットが炎上したと述べておられる(※)が、これはたわごとというべきであろう。ネットで杉田議員を批判した多くの方に対して非礼というものである。

※ 実を言えば、尾辻議員自身がYouTubeの動画でそのように主張している。しかし、SNSの炎上のきっかけが何かなど分かるわけがない。最近でも#Black Lives Matterの最初の投稿者が誰かで問題になったことがあるが、同じようなことを同時に複数の人間が思いつくことはよくあることなのだ。

すくなくとも筆者(柳川)は尾辻議員のツイートで本件を知ったわけではない。報道によって知り、杉田議員の寄稿の本文を読んだ上で批判しているのである。

これは、藤岡氏が、杉田氏への批判を貶めようとしているだけのことであり、それ以上でも以下でもない。藤岡氏は「尾辻氏の誤読をキッカケにネットで杉田氏への怒りが炎上した」と書いて、尾辻議員は「優秀なデマゴーグ」だと批判しておられるが、それは藤岡氏自身に向けられるべき言葉であろう。

(オ)杉田議員は「少子化対策の枠」の話などしていない

また、藤岡氏は次のように述べておられる。

【藤岡信勝「LGBTと『生産性』の意味」(新潮45 2018年10月号)】

杉田氏が書いたのは(中略)②公的資金を少子化対策費の枠で支出するかどうかの妥当性に関して判断する基準として、③LGBTの人たちについて、「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない」と位置付けられる、というだけのことだ。

しかし、これはまったくの虚偽、ウソである。杉田議員は「公的資金を少子化対策費の枠で支出するかどうかの妥当性」についての議論などしていない「税金」一般について述べておられるのである。

杉田議員の主張は明確である。前に別稿で2度も書いたがもう一度確認しよう。

【新潮45の杉田議員の発言より】

「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。

下向き矢印

【新潮45の杉田議員の発言より】

しかし、行政が動くということは税金を使うということです。

下向き矢印

【新潮45の杉田議員の発言より】

LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか

これを見れば明らかである。杉田議員は「『生きづらさ』を行政が解決してあげること」について、LGBTのカップルに対して「税金を投入」してはならないと主張しているのである。これは「少子化対策費」の枠などとは無関係である。

同じ新潮45という雑誌に、わずか2か月前に書かれた寄稿について、ここまで明白な嘘をつくようでは、藤岡氏の学者としての資質が疑われよう。

イ 藤岡氏の論述にはなんの価値もない

以上みたように、藤岡氏の論述はそもそもの前提が間違い、たわごと及び虚偽にすぎないのである。そのため、それ以降の論述には何の価値もない。なお、氏の著述には産経新聞の8月1日付の竹内久美子氏の批判についての論述が含まれているが、これは杉田氏への批判とはなんの関係もない話である。

さらに、藤岡氏は、上野千鶴子氏やマルクスが子供を作ることについて「生産」という言葉を使ったとあげつらっているが、何の関係もない話である。そもそも、上野氏もマルクスも差別的な文脈の中で言っているわけではない。それは批判されるようなものではないのである。

いわば、この藤岡氏の論述は、悪戯を叱られた幼稚園児が、「私だけじゃない、AちゃんもBちゃんもやってるもん」と駄々をこねているのと同じレベルである。杉田議員の寄稿の悪質性に対する擁護にはなっていない。

結局、藤岡氏の論述が証明していることは、藤岡氏の学者としてのレベルが低いということだけだというべきである。


(2)小川榮太郎氏(たんなるヘイトで批判する価値もない)

ア 全体がたんなるヘイトである。

新潮45の10月号が発売されてから、もっとも批判を受けているのが小川氏の論文である。LGBTを「性的嗜好」という言葉で表現し、次のように述べる。

【小川榮太郎「政治は「生きづらさ」という主観を救えない」(新潮45 2018年10月号)】

テレビなどで性的嗜好をカミングアウトする云々という話を見る度に苦り切って呟く「人間ならパンツは穿いておけよ」と。

【小川榮太郎「政治は「生きづらさ」という主観を救えない」(新潮45 2018年10月号)】

性的嗜好についてあからさまに語るのは、端的に言って人迷惑である

【小川榮太郎「政治は「生きづらさ」という主観を救えない」(新潮45 2018年10月号)】

それならLGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ、精神的苦痛の巨額の賠償金を払ってから口を利いてくれと言っておく

小川氏の論述の中からとくに酷い部分を抜き出したわけではない。論述の全体がこの調子なのである。LGBTを何か性的な概念だと決めつけているのである。明らかな偏見、無知、無理解からくる差別文書、ヘイトであり、かつセクシャルハラスメントでもあろう。

現実に、レズビアンをカミングアウトした女性が、何か性的な対象であるかのような言動によってセクハラを受けることがある。小川氏の論述は、これと同じレベルである。明治学院大学の高橋源一郎教授は、これを「公衆便所の落書き」と一刀両断にしておられる(※)が、まさに的確な評価である。

※ 高橋氏のツイートより。小川氏はよほど腹に据えかねたらしく、批判に対する53分の反論の動画をユーチューブに挙げて、その中で高橋氏に対して「私に対する口の利き方は気を付けた方がいいと思いますよ、あっ、これ恫喝になるの」と言っておられる。しかし、他人のことをあげつらう前に、まずご自身のLGBTの方に対する口の利き方に気を付けられる方が先であろう。

新潮45は、この特集の冒頭に「真っ当な議論のきっかけとなる論考をお届けする」と記しているが、小川氏のこの論述が「真っ当な議論のきっかけ」になると考えているとすれば、もはや異常というより他はないだろう。

この論述については、的確に批判しているユーチューブの動画「新潮45の『そんなにおかしいか杉田水脈論文』について【せやろがいおじさん】(※)を見つけたので、これを紹介するだけですまそうかとも思ったのだが、それでは、やや無責任なので、やはり私自身の言葉で批判しておこう。

※ ただし、動画の中に「セクシャリティと性的嗜好を同列に論じることは乱暴やろ」と発言している部分があるが、ここは「性的指向」というべきである。

イ LGBTに弱者利権など存在していない

それでは、比較的、"論理的"といえなくもない部分を選び出して批判をしよう。まず、小川氏はLGBTに関して弱者利権が存在していると述べている。そして、それを杉田議員が批判したのだと書いている。

冗談ではない。別稿でも書いたが、法務省の「LGBT(性的少数者)の人権問題対策の推進」のための平成29年度当初予算額は、約1300万円にすぎない(※)。他府省の予算ははっきりしないが、法務省は人権を司る省なので全省庁の平均よりは高いであろう。国全体でもLGBT関連予算は1億を上回ることはないのではなかろうか。

※ 法務省報道発表資料「平成29年度予算について」による。なお、平成30年度予算の報道発表資料にはこの数値はない。

一方、国税から一人の国会議員に支給される金額は、歳費だけでも年額で約2200万円である。これに、旅費、文書通信交通滞在費などの各種活動費が追加される。さらに政党交付金として、議員一人当たり年間約4,000万円(※)の他、立法事務費として月額65万円などが会派に対して支払われる。しかも、秘書手当(3人の秘書の給与)まで支給されるのである。直接の国の支出だけでも議員一人当たり年間に1億は下らないといわれている。もちろん、退職時にはこれらとは別に退職金なども支払われるのだ。

※ 因みに、共産党はその考え方から政党助成金は受け取っていない。ところが、共産党が受け取らなかったこの政党助成金は国庫に戻るのではなく、他党が分配してしまうのである。共産党が受け取らなかった政党助成金を国庫に戻せばLGBT関連の予算など簡単に賄えてしまう。また、もし自民党が共産党並みに政党助成金を返還し、それが国庫に戻れば、LGBT関連予算の何十倍もの予算が賄えるであろう。存在しているのはLGBT利権などではない。しかし(共産党を除く)政党利権は確実に存在している。

すなわち、杉田議員一人に対する税の支出よりも、LGBTのための予算全体の方が少ないと思われるのである。盗人猛々しいとはこのことであろう。

ウ 他は暴論に過ぎない

以上の他に、小川氏が述べていることとは、①「同性婚」への反対の主張、②「生きづらさの主観」を行政が救ってはならないという主張などである。

まず、氏の同性婚への反対の論拠となっているのは、たんに「結婚は古来、男女間のものだ」というに過ぎない。制度や倫理観などは時代と共に移り変わるものである。古来の制度がすべて正しいのなら、小川氏は丁髷を結って刀を差して道を歩かれるがよかろう。

現代の日本において、同性愛者やトランスジェンダーを、結婚という制度において、不平等に扱う合理的な理由など、何一つ存在していないのである。

次の、「生きづらさの主観を行政が救ってはならない」にいう主張についてはどうであろうか。そもそも、すべての国民について行政が救ってはならないなどとは杉田議員も言っていないのである。杉田議員が言ったのは、LGBTの方については「生産性」がないから、公的資金で「生きづらさ」を救うことは許されないとしているのである。小川氏は、杉田議員の差別発言をごまかしている。

エ ネットで批判されている部分

ネットでは小川氏が次のように述べている部分が最も強い批判を受けている。

【小川榮太郎「政治は「生きづらさ」という主観を救えない」(新潮45 2018年10月号)】

LGBTの生き難さは後ろめたさ以上のものなのだというなら、SMAGの人達もまた生きづらかろう。SMAGとは何か。サドとマゾとお尻フェチ(Ass fetish)と痴漢(groper)を指す。私の造語だ。ふざけるなという奴がいたら許さない。LGBTも私のような伝統保守主義者から言わせれば充分ふざけた概念だからである。

満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深かろう。再犯を重ねるのはそれが制御不可能な脳由来の症状だという事を意味する。

この点について、WEBサイトでは、多くの識者が、LGBTを痴漢などの犯罪行為と同じ扱いをしたことは問題であると批判している。このことはもちろん正しい。しかし、すでに多くの方が述べられているので、ここではこれとは異なる面からこれを批判しておこう。

まず、LGBTとSMAGなるものは、まったく別なものであり、それを比較しても何の意味もないということ、及び、その双方に対して非礼であるとともに、いわれなきヘイトだということである。

痴漢が許すべからざる犯罪行為であることはもちろんだが、その一部には、心の病といってもよいようなケースもあり、処罰よりも治療をする方が効果的ではないかと思われる場合もないわけではない。しかも、犯罪者といえど人権がないわけではないのである。

また、SM文学の巨匠である故団鬼六氏は、一般にはあまり知られていないが、実は日本の将棋界の発展に寄与した人物という面も持っている。将棋界では尊敬されている人物であるし、普通の人というイメージの方である。

さらに、お尻フェチとなると、それを内心にとどめている限りなにか問題でもあるのかと言いたくなる。

このような人々の例を持ち出して、LGBTの方を貶めようとしていることは、たんに小川氏の人権意識に問題があるからであり、LGBTの方のみならず氏がSMAGと呼ぶ人たちの人権をも侵害しているのだと指摘しておこう。

なお、小川氏は生物には一部を除きXY染色体かXX染色体しかないと述べておられることも誤りだとネットで批判されている。確かにそのとおりで、軽度の両性具有を示すXXYやXYYなども存在する。なお、染色体の数に異常がある場合、妊娠してもほとんどの場合は初期に流産してしまうが、これらの他、13番トリソミーと18番トリソミーの一部、ダウン症候群となる21番トリソミーなどは生存が可能である。

この程度の基本的な間違いを、恥ずかしげもなく堂々と紙媒体に載せているようでは、小川氏の知的レベルも疑わしいというべきだろう。


(3)松浦大吾氏(杉田議員の擁護になってませんけど?)

ア 松浦氏の論述の全体構造と表題

(ア)松浦氏の論述の全体の枠組み

松浦氏の論述は、まず冒頭に、杉田議員の寄稿には「情報不足による誤解が見受け」られるなどと、杉田議員の寄稿に対する批判が書かれている。そのあとはたんに杉田議員への批判行動を貶める論述が続いているだけである。

ただ、LGBTの差別解消運動に対する弊害という意味では、今回の7本の論述の中で最も実害の大きいのは、この松浦氏による論述だと私は考えている。結局のところ、松浦氏の言いたいことは"杉田議員の差別に対する抗議はやめて、今の政府に忠節を誓おう、そうすれば杉田議員はLGBTへの差別を止めてくれるはず"ということに尽きるのである。これに比較すれば、小川氏の論述などは、明確にLGBTに対する反感をストレートに表しているだけに、その差別意識が誰にでも分かるので、それほど実害はないといえよう。

なお、松浦氏は冒頭で新型出生時健診による堕胎の問題や、国際レズビアン・ゲイ協会とNAMBLAの関係を論じておられるが、杉田議員の寄稿やそれへの批判とは何の関係もないことである。

(イ)松浦氏の卑劣な印象操作

また、松浦氏はこの論述の表題を「特権ではなく『フェアな社会』を望む」と題して、杉田議員がフェアな社会を構築しようとしているのに対し、批判派が特権を要求しているかのごとき印象操作をしているが、松浦氏の論述にはそのことは全く触れていない。

まずこの表題についても、冗談ではすまない。杉田議員が差別を助長するようなことを言ったのに対し、批判派はフェアを求めているのである。このような表題を付けたことは、松浦氏が杉田議員を擁護し、批判派を貶めようとする卑劣な印象操作だとまず指摘しておこう(※)

※ 松浦氏は、前述したAbemaTVで、この表題は自分で付けたものではないと発言しておられる。しかし、これは信じがたい。雑誌の署名記事の表題を編集者が執筆者本人に相談せずに決めることなど常識で考えてもあり得ない。

イ 松浦氏のLGBT差別解消に向けた立場とは

(ア)松浦氏の政治的な立場

松浦氏は、LGBTの当事者であることをカミングアウトしておられるが、民主党から希望の党へ移った右派の人物である。しかも、この論述の中において、LGBT法案については野党案を批判(※)し、自民党案を絶賛して、自民党へ秋波を送っておられる。

※ ここで、松浦氏は明らかな嘘をついている。詳細は別稿「松浦大悟氏によるフェイク」に示すが、松浦氏は、野党案は"表現"を罰するものであり、言論の自由の観点から危険だと批判しておられる。しかし、野党案で禁止しているのは"差別行為"であって"表現"を禁止したりはしていない。しかもそれらに罰則は定められていないのである。

このような明らかな嘘をつくようでは、今回の新潮45の10月号特集の全体が信用できないといえるのではなかろうか。

しかし、自民党によるLGBTへの対策の基本的な考え方は、国民の理解促進を進めればよく、差別防止のための制度作りや同性婚の導入はするべきではないというものである。この論述の背景には「リベラルを運動から引きはがせば、あとはLGBTの差別解消の運動などどうにでもなる」という保守派の意図が重なって見えるが、そこからは松浦氏の思想背景もまた見えてくるのである。

(イ)融和主義と国家への忠節

まず、松浦氏は次のように、杉田議員への抗議は疑問だと述べられる。

【松浦大吾「特権ではなく「フェアな社会」を求む」(新潮45 2018年10月号)】

私は杉田議員への過度なパッシングに疑問を感じています。言葉の断片だけとらえて糾弾してもLGBTへの理解は深まらないと思うからです。

そして、抗議活動の結果、ネットでLGBTに対する反感が高まったというのである。

【松浦大吾「特権ではなく「フェアな社会」を求む」(新潮45 2018年10月号)】

暴力的な言葉が飛び交うデモに違和感を覚えた人たちによる議論は、いまもネット上で続けられています。

では、松浦氏は、杉田議員の差別発言に対し、LGBTはどうするべきだといわれるのだろうか。これに対しては、松浦氏が、次のように述べておられることが参考となる。

【松浦大吾「特権ではなく「フェアな社会」を求む」(新潮45 2018年10月号)】

そして私たちが驚いたのが「LGBTは強い国家を作る」という実践です。米国には各地にLGBTセンターがあるのですが、そこには米軍がリクルートするためブースを出しているのです。2010年、オバマ大統領は同性愛者の米軍入隊禁止規定の廃止案に署名。これによって同性愛だと公言して軍隊に入ることが可能になりました。「国家が俺たちのことを認めてくれた。今度は俺たちが国家に貢献する番だ」と、当時ブースの前にはゲイの若者が列をなしたそうです。国家が包摂することで愛国心が生まれ、結束力のある強い国家を作ることに繋がるという考え方は、我が国の保守の皆さんにも十分共感していただけるのではないでしょうか。

要するに、松浦氏がここで言いたいことは、LGBTは政府に対して忠誠を尽くすから、政府の側の人々は差別をやめて欲しいということである。

松浦氏の論述の最後は次のように結ばれる。

【松浦大吾「特権ではなく「フェアな社会」を求む」(新潮45 2018年10月号)】

私は杉田議員と胸襟を開いて議論したい。そして杉田議員にはLGBTの見方になってもらいたい。ぜひ本音の対談が実現するよう願っています。

語るに落ちたとはこのことであろう。その対談で松浦氏は、何を話すのだろうか。そのとき、杉田議員は「私は、あなたのようなゲイの方とでも、問題なく付き合えます、政府に調節を尽くすのなら問題ありません」とでも言うに違いない。それを聴いて松浦氏は嬉しいのだろうか。

結局のところ、松浦氏の立場は、徹底した融和主義と言うべきものであり、為政者にとって都合がよいように、為政者による差別行為に対して抗議活動をするべきでないとするのである。さらに言えば、杉田議員と同じ側に立って、LGBTへの差別反対や制度改革などの運動を抑圧する側になっているのである。

言っておかなければならないが、国家の権力を司る立場にあるものが、国民を差別するような言動をすることは、それ自体が許されないのであって、時の政府に忠節を誓うから差別をしないでくれというのは、裏返した差別を助長することに他ならない。

ウ 松浦氏のリベラルに対する姿勢

(ア)抗議活動から保守が排除されているという嘘

松浦氏の論述で松浦氏が杉田議員への批判行動を攻撃する論拠となっているのは、リベラルがLGBTの差別解消のための運動に参加しているということに尽きる。どうやら、リベラルを運動から排除したい意図があるようだ。具体的には、例えば自民党前の抗議活動について次の記述がある。

【松浦大吾「特権ではなく「フェアな社会」を求む」(新潮45 2018年10月号)】

ところが、多くのLGBT当事者から「なぜ反天皇制や安倍総理退陣のプラカードを掲げるのか?」「差別発言には抗議したいが、保守の自分はこれでは参加できない」との声が上がっていることは意外にも知られていません。

しかし、自民党前の抗議行動は、個人の呼び掛けから始まって、運動の輪が広がっていったのである。そのとき、保守派を排除したなどという事実はない。差別を抗議するのに右も左もないのだ。様々な思想背景の方が集まったからこそ、5,000人もが集まったのだ。そこには保守から革新まで、様々で広範な人々がいたのである。

ユーチューブにアップされた動画を観ると、"私は右とか左とかどうだっていい"という方のスピーチや、「これまでデモに参加したことがなかった」という方の発言も紹介されている。

運動に参加しづらいという保守の方がおられるというが、別に遠慮はいらないだろう。堂々と「9条改正推進」「天皇制護持」「安倍政権支持」などのプラカードを持って運動に参加すればよろしいのではなかろうか。冷たい眼で見られないという保証はしないが、右から左まで、LGBTもシスジェンダーも異性愛者も、様ざまな立場の人間が参加することで、運動は幅広くなってゆくのではなかろうか。

また、それが嫌だというなら、松浦氏が保守を代表して、その種の標語を掲げて、渋谷駅頭でも新宿駅頭でも、好きなところで杉田議員に対する対話を呼びかけるためのデモンストレーションをされればよい。そうして、5,000人を超える保守のLGBTの方の参加者を得ることだ。その上で、現在の運動体に連携を呼び掛けてみてはどうか。相手にされるかどうかは、これまた私には保証はできないが。

そういった行動を行わずに、リベラルが参加しているから運動に参加しづらいなどとは、いいがかりにすぎない。

(イ)松浦氏は運動を変質させようとしている

なお、自民党前の抗議活動には、政党関係では共産党の吉良よし子議員、社民党の福島瑞穂議員などもスピーチをされておられた。もちろん、自民党への抗議活動だから自民党の議員は参加しにくかっただろうが、レインボーパレードでは、自民党から共産党まで幅広い政党ばかりか、大手の企業も支持をしておられる。

松浦氏の、運動からリベラルを引き離そうとする画策は、このような党派を超え、企業まで巻き込んだ運動の質を、"融和主義"、すなわち時の政権与党にとって害がないものに変質させようとするものである。

松浦氏は、AbemaTV(※)において、「あまりにバッシングが激し過ぎると、人は心を閉ざしてしまい、対話のシャッターも閉じられてしまう。やっぱり分かってもらわないといけないわけだから、何とか対話の糸口を見つけていこうとすべきだ」と述べておられる。しかし、それは一般国民相手の場合には当てはまっても、権力を行使する側の人間に対しては当てはまらない。松浦氏は、AbemaTVにおいて、杉田議員と田舎の「おじいちゃん、おばあちゃん」を同列に論じておられるが、このような考え方は明確な誤りである。

※ AbemaTVの2018年9月26日記事「『休刊するのは逃げ』『新潮45』に寄した松浦大悟氏がLGBT当事者として感じるディスコミュニケーション

杉田議員は、このままでいけば何年か後には文科省の大臣になるかもしれない。そのときに、LGBTは「普通ではない」という教育を児童・生徒にさせようとするかもしれないのである。公権力を司っていない田舎の「おじいちゃん、おばあちゃん」と同視することはできないのである。

(ウ)松浦氏の論述はセクト主義でもある

また、松浦氏は、安倍政権打倒のプラカードがあったと筋違いの批判をしておられるが、杉田議員を「すばらしい」と言って、比例名簿の一位において当選させたのは安倍総理であり、今回の事件でも杉田議員の発言内容(※1)を徹底して擁護しておられる。安倍総理退陣のプラカードが出るのは当然であろう(※2)

※1 自民党は、自民党前への抗議行動を受けた後で、杉田議員の寄稿の"表現"については問題があると認めたが、内容については容認したままである。

※2 永易至文氏は、BUZZ Feed2018年9月25日の記事「『新潮45』で高評価だった『松浦大悟論文』をファクトチェックしてみた」で自民党打倒のプラカードもなかったと指摘しておられる。

なお、私自身はこの活動には参加していないが、ユーチューブに報道機関や個人がアップしたかなりの動画を観ている。しかし「9条改悪反対」と書かれた虹色の団扇は確認しているが、「反天皇制」のプラカードは見たことがない。本当にそんなものがあったのだろうか。レインボーパレードには「天皇制反対」のプラカードが出て問題になったという話があるようだが、今回の自民党前の抗議にそのようなプラカードがあったという話は聞かない。松浦氏にはぜひその根拠を示していただきたいものである。

このようなことを言うのは、松浦氏が安倍総理を支持し、また天皇制を堅持されたいとの思いからであろう。そのことについてここではあれこれ言わないが、だからといって、反安倍陣営を運動から追い出そうと画策するのは、セクト主義と言われてもしかたがないのではなかろうか。

(エ)そもそも松浦氏が口を出すことではない

すなわち、松浦氏の主張の主眼は、LGBTの方の多くは自民党を支持する保守派なのだから、運動を大きくするためにリベラルを追い出せと言うことに尽きる。しかし、運動体の中のことは、運動を推進しているメンバーが自主的に決めるべきことである。杉田氏の寄稿について「そんなにおかしいか」として、支持を表明しておられる松浦氏が口を出すのは筋違いというものであろう。

エ 松浦氏の愛する保守は何をしてきたのか

しかも、自民党が2016年6月に公表した「性的指向・性同一性(性自認)に関するQ&A」を見れば明らかだが、自民党は、LGBTの方が渇望している同性婚に反対し、また、渋谷区のパートナーシップ制度にも反対しているのである。

さらに、竹下総務会長の宮中パートナー発言、小林区議の「LGBTは個人的趣味」発言、谷川議員のLGBTは趣味発言など、LGBTに対する無知、無理解、反感からくる発言が繰り返されている。しかも自民党は、LGBTへのヘイトを繰り返してきた杉田議員を比例名簿1位で国会議員にしているばかりか、その差別発言を党として公式に容認しているのである(※)

※ 自民党は、二階幹事長が杉田議員の発言を自民党の多様性の一部として容認するとした発言を否定していない。

その保守派を運動に入れるためにリベラルを運動から排除して、いったいどうしようというのであろうか。

オ 結局、杉田議員の擁護になっていない

結局のところ、松浦氏の言いたいことは、次のようなことである。

【松浦氏の言いたいことをまとめると】

① 政府の側の人間の差別発言に対して批判をするな。批判をすれば彼らは心を閉ざす。

② 国家に協力する姿勢を示せば、杉田議員を始めとする政権与党や保守はLGBTに対する差別はしなくなる。

③ LGBTの差別をなくしたければ、政府に分かってもらわなければならないのだから、政府に対して反旗を振りかざすリベラルや左翼とは手を切れ。

ところで、この特集は「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」となっている。松浦氏が杉田議員に対して、共感し、かつ支持をしているということは、このようなところに寄稿しているのだからそれはよく分かる。しかし、杉田水脈議員の寄稿が、どう"正しい"のかの記述が全くないので、意味不明な文書に過ぎなくなっていると最後に指摘しておこう。

松浦氏は、もっと杉田議員に気に入って頂けるよう、杉田議員の寄稿の具体的な内容にまで踏み込んで、「『常識』や『普通であること』を見失っていく社会は、『秩序』がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません」という箇所についても、支持を表明されておかれればよかったのではなかろうか。


(4)かずと氏(尾辻議員への個人攻撃にすぎずない)

ア かずと氏の論述の全体構造

かずと氏というお名前は、失礼ながら初めて知った。新潮45の紹介文によると地方在住のLGBT当事者のブロガーらしい。論述では尾辻議員に対する批判が前面に出ており、杉田議員の寄稿に関係する記述は、LGBTに税金を使うべきでないという杉田氏の記述を"正しい"と指摘しているだけである。

以下、これについて検討しよう。

イ 尾辻議員への批判について

尾辻議員への批判は、次の点にある。

① 杉田議員への批判を、直接、本人に言わずにツイッターに書いた。

② 杉田議員のLGBTに税金を投入するべきでないという質問に答えていない。

③ LGBT政策情報センターの代表理事として、LGBTに関する委託事業を受けて、生活の糧にしようとしている。

これらについて、以下に検討を行おう。

(ア)杉田議員への批判を直接本人に言わなかった

かずと氏はこのように書く。

【かずと「騒動の火付け役『尾辻かな子』の欺瞞」(新潮45 2018年10月号)】

あなたは産経新聞への寄稿にこう記されています。「今回の杉田議員の寄稿に、多くの人が傷つき、涙を流した」

何をかいわんや、騒ぎの要因はあなた自身のあまりにも軽率すぎる行動です。話し合う機会も持たず、ツイッターで一方的に批判した。多くの人が傷ついたなら、尾辻かな子さん、あなたに原因があります。

これは、そもそも批判にさえなっていない。「直接、言わずに批判をネットに書く」ようなことは、学校や企業の中であれば(一般的には)批判されるべき行為だろうが、国会議員や学者同士の場合はそうではない。国会議員は中学生や高校生ではないのである。議論はオープンな場で行うことが、むしろ国民の利益にかなうのである。しかも最初にオープンな場で差別発言をしたのは杉田議員の側である。

かずと氏の主張は、言葉を換えれば、どれほど差別されても、騒ぎが大きくならないように黙っていろというに等しい。しかし、そのようなことをしていれば、杉田議員のようなレイシストが大手を振って差別発言をまき散らすことになるのである。

放置すれば、杉田議員は与党の議員であるから、学校教育の場でのLGBTのための差別解消教育も行われなくなるであろう。そればかりか、政府によって細々と行われている啓発活動も行われなくなるだろう。

これは、LGBTに対する差別を放置・温存し、さらには助長しようとする立場からの、たんなる言いがかりに過ぎない。

(イ)税金を投入する必要がないということについて

かずと氏は、LGBTは社会的弱者ではないので、弱者保護としての税の投入は不要であると指摘し、尾辻議員がこれに答えていないと批判しておられる。尾辻議員が批判に答えるかどうかは、尾辻議員の考えることであり、私の関知しないところである。

しかし、尾辻議員が回答しようがしまいが、そのことが杉田議員の寄稿を擁護する根拠とならないことは明確である。なにをくだらないことを言っているのか。

さて、税の投入の是非については後述することにして、まずは尾辻議員に対する批判について検討しよう。

(ウ)LGBT政策情報センターの代表理事について

かずと氏は、尾辻議員が代表理事を務めるLGBT政策情報センターが、その目的のひとつに行政からの受託を挙げていることに関して、次のように言われる。

【かずと「騒動の火付け役『尾辻かな子』の欺瞞」(新潮45 2018年10月号)】

行政から受託ということは税金があなた方の活動に使われることを見越しているということですよね。議員の職を失っても将来安泰と言えるでしょう。

これは、はっきり言って尾辻議員に対する名誉棄損になりかねない発言である。このような発言を、本名を使わずにしているのは人間として卑劣だと、まず指摘しておく。

LGBT政策情報センターのWEBサイトを確認してみたが、財務諸表や活動計画などが公表されていないので尾辻議員の得ている報酬などは明確ではない。しかし、行政の委託事業を受けるから将来安泰だなどという記事を載せるのなら、新潮45の編集部の責任において、この団体の代表理事の報酬や収支状況などについて問い合わせを行ってその回答を掲載するべきであろう。もし回答がなければ、問い合わせたが回答はなかったと書けばよいだけのことである。

そもそも、現在、行政からの委託事業は、すべて競争入札になっている。一般の企業が事業活動として展開する場合もあり、行政の仕事を受けたいために利益を度外視しているケースもあるのだ。一部を除けば、利益を考えてできるようなものではないのである。

なお、現在の一般社団法人では、代表理事の報酬などは専属でない限りゼロのケースがほとんどである。たんなる名誉職と言ってよく、理事会への参加時に報酬を支払うケースはあるが、旅費の他は数万円程度のものである。実態は、ボランティア状態なのがほとんどなのである。

何の根拠もなく、このようなことを言い募るのは、新潮45のこの特集の冒頭に記された「真っ当な議論のきっかけ」どころか、三流週刊誌並みのヘイトに過ぎないと指摘しておこう。

ウ LGBTへの税の投入の必要性について

(ア)杉田議員の主張

かずと氏は、LGBT対策のために税金をかけるべきではないと主張しておられる。税金の支出といっても幅広いが、どのようなことへの支出について言っておられるのであろうか?

これについて、杉田議員が新潮45の8月号で、LGBTに対して税金を投入する必要がないとしているのは、「『生きづらさ』を行政が解決してあげること」である。また、チャンネル桜の動画(※)では、同議員は、「LGBTの知識を学校教育で教える」ことについても必要ないとしておられる。

※ これは、Swingin’Osushi氏がアップした「"Unproductive Homosexuals" Speech by Japanese House Member Mio Sugita (杉田水脈)」など、いくつかの動画で確認できる。正直なところ、この動画は、見ているとあまりにも気分が悪くなるので、これはリンクを張ることはしない。

(イ)行政施策の必要性

だが、チャンネル桜で杉田議員が楽しそうに笑いながら紹介していたように、LGBTの子供はそうでない子供に比較して自殺未遂率(※)が6倍も高いのである。また、「厚生労働省エイズ対策研究事業」の一環として行われた2005年の「日本のゲイ・バイセクシャル男性対象の調査」によれば、「自殺を考えたことがある」と答えた方は65.9%となっており、「自殺未遂をしたことがある」は14%などとなっているのである。そして、2012年(平成24)年の政府の「自殺総合対策」には、自殺念慮の割合が高いことについて、無理解や偏見等がその背景にあるとされている。

※ 杉田議員は自殺率と言っているが、これは自殺未遂率の誤り。

また、同性婚人権救済弁護団による「同性婚だれもが自由に結婚する権利」(明石書店2016年)に、9歳のときに自殺未遂をしたという方の話が載っている。そして、その方は、学校でLGBTについて教えられていたら、状況は違っていただろうと述べておられる。

(ウ)かずと氏の主張

LGBTへの偏見をなくすこと、そのために行政が活動することそれ自体は自民党でさえ公式には否定していない。また2010年4月に文部科学省は、LGBTへの学校における差別解消への配慮を求める通達を発出している。

ところが、杉田議員はこれらについて、税金を使うことになるので実施することは如何なものかと反対しているのである(※)。そして、かずと氏も、この杉田氏の主張を擁護しておられる。

※ 杉田議員は、桜チャンネルで、現在、学校で行われている「多様性を認めよう」という人権教育が間違っているから、学校でLGBTに対する教育はやめるべきだという趣旨のことも言っている。

その理由として挙げられているのは、LGBTは弱者ではないということである。確かに、LGBTの方がそれだけで弱者であると主張するとすれば、これに対して違和感を持たれる方は当事者を含めて多いだろうと思う。しかし、実際に生きづらさを感じ、自殺直前まで苦しんでいる子供たちも多く、実際に自殺する子供たちがいることもまた事実なのである。

差別解消のための教育や啓発を行うことに対して、行政がかかわることについて反対するというのは、理解に苦しむとしか言いようがない。

エ 結局、差別に基づく暴論の擁護に過ぎない

結局、かずと氏の主張は、杉田議員の主張を正しいと言い募っているのみであり、なんら納得できるような根拠は示されていない。尾辻議員に対する名誉棄損まがいの主張を挙げて、「尾辻かな子さん、今のあなたは単なる同性愛者の恥さらしです」と個人攻撃をしておられるだけの文書である。


(5)八幡和郎氏(杉田議員の寄稿とは無関係な話にすぎずない)

ア 八幡和郎氏の論述の全体構造

八幡和郎氏の論述は、杉田議員の経歴を紹介していること、杉田擁護派の足立康史議員と、井戸まさえ元議員が批判派を揶揄した文書について云々していること、及び最後に杉田議員の過去に行った国会議論について検討していることという、3点だけである。

杉田議員の新潮45の寄稿についての記述はどこにあるのか、いくら探しても分からない。杉田議員の新潮45の寄稿の擁護としては、ほとんど意味のない文書である。

イ 八幡和郎氏の論述について

結局、八幡氏は、杉田議員への思いを言い募っているだけで、それについてはどうぞ勝手にお話をしてくださいとしか言いようがない。お二人ともアンチ人権のお仲間なので、お付き合いする気にはなれない。

ウ 杉田議員の振りまくフェイクの数々

なお、八幡氏は、杉田議員が過去に行った怪しげな主張をいくつか挙げて、リベラルは杉田議員を怖がっていると主張している。しかし、ここに挙げられている杉田議員の主張はいずれも根拠のないフェイクと言ってもよいヨタ話ばかりである。

例えば科研費のことについてあれこれ言っている。私自身、行政に居た頃に厚労科研費に関わったこともあるが、科研費は他に流用できるようなものではない。驚くほど細かくチェックされて、目的外に使用することなどできないようになっているのだ。

また「関西生コン」がどうのこうのと、三流の週刊誌ばりの怪しげな話を取り上げている。ここまでくると国会議員としての資質を疑われるとしか言いようがない。

杉田議員のこれらの主張は、言うだけ言ってなにか問題があるかのごとく匂わせると、その後は知らん顔をしているという点がすべてに共通している。騒ぐなら、国会議員として政府に対して調査を要求してはいかがだろうか。それをしないのは、単に騒いだだけで、実際には主張しているような問題がないと本人も分かっているからであろう。

杉田議員は政権与党の国会議員なのである。政権与党は、内閣を構成して行政を司っているのである。野党とは訳が違うのだ。もし、本当に問題があるならはっきりさせればよい。自民党としても、当然、そうするべきだろう。それをしないのは、すべて怪しげなフェイクばかりだからだと分かっているからである。

最後に、これがフェイクでないというのなら、安倍総理は、森友、加計で防戦一方になるだけで、なぜ杉田議員の主張を調べて野党に反撃しないのだろうかとだけ指摘しておく。


(6)KAZUYA氏(怒りの意味が理解できていない)

ア KAZUYA氏の論述の全体構造

KAZUYA氏は、右派に人気のあるユーチューバで、おそらくユーチューバとしては最も成功した一人であろう。氏の動画には杉田議員も出演したことがあり、それらは現在も視聴が可能である。

氏の論述は、何が言いたいのかよく分からない文章である。どうやら、要するにLGBTの方に対して、抗議活動をするとLGBTへの偏見を増大させることになるからという理由で「大人の対応」を求めていること、及び左翼がLGBTを政治利用していると批判しているらしい。

イ KAZUYA氏の論述について

KAZUYA氏は、杉田議員とは親しいようだが、文章を読む限りではなぜ杉田議員に対してこれだけの怒りが起こっているかが理解できていないようだ。KAZUYA氏は次のように言われる。

【KAZUYA「寛容さを求める不寛容な人々」(新潮45 2018年10月号)】

そもそも杉田氏は税金の使い方として、子育て支援や不妊治療などにお金を使うのなら、少子化対策として大義名分もあるが、LGBTカップルに税金を使うのはどうなのかと疑問を呈し、その文脈で「生産性」が出てきたのです。考えてみると当たり前の話ですが、男と男、女と女では子供を育てることは出来ても、子供を産むことが出来ません。その点でも「税金を使う大義名分を見つけにくいのではないか?」と言いたいのだろうと思います。ただ個人的な意見を言えば「生産性」は必要のない言葉です。一言多くて批判されるのもわかりますが、あまりにも「生産性」部分だけに注目が集まり、全体の論旨を無視してLGBT自体が「生産性がない」かのようにミスリードされ、「差別だ!」と過剰すぎるほど糾弾されていると感じます。

KAZUYA氏は「男と男、女と女では子供を育てることは出来ても、子供を産むことが出来ません。その点でも『税金を使う大義名分を見つけにくいのではないか?』と言いたいのだろうと思います」と言われる。

しかし、ある人がある事実で苦しみぬいているときに、それを「当たり前の話です」と言い放って、「税金を使う大義名分を見つけにくい」と言うことが、どれだけその人の心を痛めつけることになるのか、まったく理解できていないようだ。

しかもそれを発言したのは、政権与党の議員なのである。批判されるべきだということが理解できていないなら、何を言っても仕方がないだろうが。

ただ、次のように言っていることは批判しておくべきだろう。

【KAZUYA「寛容さを求める不寛容な人々」(新潮45 2018年10月号)】

例えばLGBTについて語るなら、同性婚についても議題になるでしょうが、婚姻について規定した憲法24条改正の議論に繋がるため触れなかったり、左翼的な要素を含んだ人たちがLGBTを利用している構図も見え隠れします。

はっきりと言っておくが、誰も同性婚の話を避けたりはしていないのである。同性婚については、現行憲法第24条は禁止していない、そればかりか同性婚を認めないこと自体が現行憲法に違反するというのが、我が国のリベラル、そればかりか多くの憲法学者の見解である。憲法を改正しなければ同性婚を認められないというのは、自民党とその取り巻きの学者が主張しているだけである。これはKAZUYA氏によるフェイクと言うべきである。

また、左翼的な要素云々に関しては、本稿でもすでに述べているので繰り返さないが、左翼がLGBTの差別解消に努力していることを批判するのは、たんに右翼の側から左翼の側の政治活動を攻撃しているだけのことである。要するに、左翼は右翼よりも、LGBTに対する差別解消に熱心だと言っているだけのことで、杉田氏の差別発言の悪質性とは何の関係もない。

また、KAZUYA氏は次のように述べておられる。

【KAZUYA「寛容さを求める不寛容な人々」(新潮45 2018年10月号)】

日本では宗教的に同性愛者を排除した事例は聞きませんが、やはり多少の偏見はあるでしょう。また、性同一性障害などについての理解もまだまだです。そういう点で何らかの形で啓発をすることは重要なのですが、LGBTをことさら特別扱いするのは間違いです。そんなことを当事者は望んでいないでしょう

この文はKAZUYA氏による巧みな印象操作である。「宗教的に」などと言ってごまかしてはいるが、宗教的以外では明治の一時期に男性同性愛を法律で禁止していた時期がある。また、現在のLGBTに対する偏見は「多少」などというものではない。地方の学校などでは暴力を含むいじめがあることも多いのである。

さらに、「何らかの形で啓発をすることは重要なのです」と述べておられるが、すでに本稿で述べたように杉田議員は啓発そのものをするべきでないと主張しているのである。

また、杉田議員を批判する側がLGBTを特別扱いしてくれと言っているかのように印象操作をしているが、特別扱いしてくれなどとは誰も望んでいない。差別をするなと言っているのである。

(7)潮匡人氏(差別する自由を守れという愚かな主張)

潮氏の論述は、NHKの8月3日のニュースウオッチ9に対する批判である。これは、八幡氏の別稿の論述ときわめて似通っており、最初、八幡氏の論述と入れ替わっているのかなと思ったほどである。八幡氏の論述については、すでに「杉田議員のLGBT差別発言の行きつくところ=杉田議員を擁護する徳島文理大学八幡教授の哀れな主張」で批判しているので、ここで潮氏への批判として繰り返すことはやめておく。

なお潮氏の論述の後半は、NHKが「凶悪犯罪者と同根」だの、現代のパリサイ人だのと、特殊な自論を展開しているだけで、意味のあるものではないとは指摘しておこう。

一言で言えば、なぜ杉田議員の寄稿がLGBTの人々を傷つけたのかが全く理解できておらず、「僕の大好きな水脈ちゃんをNHKが虐めた」と何の納得できる根拠も示さずにわめいているだけである。まともに議論の対象とするようなものではない。


3 最後に

(1)本特集の記事について

結局のところ、7本の論述のうち、松浦氏の論述と八幡氏の論述の2本は、杉田議員の8月号の寄稿とはほとんど関係がない。

かずと氏の尾辻議員を批判した論述と、潮氏のNHKの記事を批判した論述の2本は、杉田議員に対する批判の中から特定のものを攻撃しているだけである。なお、かずと氏の論述はLGBTの方に対して税金を投入することの是非についても論述してはいるが、そもそも論点がずれている。杉田議員は「生きづらさを解決」することの是非を問うているが、かずと氏の方は「弱者保護」に論点をすり替えている。また、潮氏の論述はただNHKの悪口を言っているだけである。

残る3本のうち、藤岡氏の論述は議論の前提が誤っており、意味のある内容とはなっていない。小川氏の論述はLGBTへの偏見を煽るたんなるヘイトに過ぎない。KAZUYA氏の論述は、差別をすることに対して「大人の対応」をしろというものであり、個人の差別発言に対してであれば成り立っても、与党の国会議員に対しては成り立たないものである。

要するに、新潮45のいう「真っ当な議論のきっかけとなる論考」などは1本もないと言ってよい。

そして、当事者のお二人は別かもしれないが、これらの論述に共通していることは、KAZUYA氏のものや潮氏のものはとくにそうなのだが、差別される側の痛みを理解していないということである。国会議員であるハイソサエティの杉田氏に対する批判については"人権攻撃"だととらえるのだが、マイノリティの痛みには思いが及ばないのである。


(2)安倍総理はこの特集の考え方と同じ考えなのか

もちろん、これらの7本の論述の論者は、杉田議員の8月号の寄稿について「そんなにおかしいか(=そんなにおかしくない)」、と考えておられることだけはよく分かる(※)。公開に当たって事前に杉田議員に相談しているかどうかは分からないが、杉田議員がこれらの論述に賛同することはほぼ間違いはないだろう。

※ 松浦氏は、本稿で先述したAbemaTVにおいて「依頼を頂いた時に言われたのは、"杉田発言に対する意見を書いてください"ということ。編集権は編集部にあるので、タイトル(「特権ではなく『フェアな社会』を求む」)も編集部がつけたもの。こういう特集になることは知らなかった」と述べておられる。しかし、そのようなことは、雑誌への寄稿を行う場合には、きわめて不自然である。私自身、様ざまな雑誌類に寄稿した経験があるが、雑誌が出て初めて表題を知ったなどということはあり得ないと思う。とうてい、信じがたい話である。

そうであれば、安倍総理は杉田議員を「すばらしい」と評価しているのであるから、この新潮45の特集の考え方に近いと言われてもしかたながいだろう。

安倍総理は今回の自民党総裁選の最後の演説会で、周辺には一般の国民はもとより、支持者以外の自民党員さえ立ち入らせなかった。要するに、彼は支持者の代表となる気はあっても、国民の代表となる気は全くない人物なのだろう。

マジョリティの側だけを向き、マイノリティに対する差別を容認する安倍総理の行為は許しがたいと思える。そこで、最後に安倍総理への「個人攻撃」をして本稿を終えよう。

【安倍総理への個人攻撃】

正直、公正!

やーい、安倍総理、まいったか(※)・・・、と書きながら日本国民としてなさけなくなってきた。

※ これがなぜ安倍総理への個人攻撃になるかについては、「総理への個人攻撃を謝罪します【政治バーチャルYoutuber みーちゃん】」というすぐれた動画がYouTubeにアップされているので、参考にして頂きたい。