なぜ杉田氏を批判するのか


私の杉田水脈氏の新潮45批判のコンテンツについて、なぜこのような批判をするのかというご質問をいただいています。

杉田氏は当時の安倍総理が「日本の宝」と評した人物です。このような人物の人権を侵害する行為に対し、きちんと批判をしておくことは日本の良識を守るうえで重要なことだと思います。

日本を杉田議員のような差別者に支配されるようなことがあってはならないと思います。




1 はじめに

執筆日時:

最終修正:

筆者:柳川

杉田水脈衆議院議員が新潮45に書いた「『LGBT』支援の度が過ぎる」に批判が集まっている。私も、「杉田議員による"生産性発言"にみる人権思想の破壊を憂う=優生思想から人権への許しがたい挑戦」と「ユーチューブの動画で学ぶ杉田議員のLGBT差別問題」の2つの批判記事を書いている(※)

※ 私は、LGBT(Lesbian、Gay、Bisexual、Transgenderの略)という用語は、パンセクシャルやアセクシャルが含まれないなどの問題もあり、必ずしも正確な言葉ではないと思っている。SOGI(Sexual Orientation and Gender Identity=ソジ)というべきだと思っているが、LGBTの方が一般的なので本稿もそれで統一する。

最初の文書のアップ後、なぜこのようなものを書いたのかというご質問をいくつか受けたので、ここで明確にしておきたいと思う。2番目の文書をお読みいただいた方はお分かりいただけるかもしれないが、一言で言えば、激怒しているからである。

もちろん、その対象は杉田議員の発言と、それを容認している現在の自民党に対してである。

これらの文章を書いた理由を明確にすることで、杉田議員を擁護しておられる方への再批判になるとも思える。


2 私が本稿を書いたことへのご質問と回答

(1)くだらないことに関わらない方が良いのでは

ア 頂いたご忠告

本稿について、産業保健に関わることでもない(※)し、あまりくだらないことに関わらない方が良いのではないかというご忠告を頂いた。もちろん、親切心から言っていただいているのであり、そのことは大変、ありがたく思っている。

※ 本稿は、当初、「実務家のための労働安全衛生のサイト」に掲示していたが、当時は「実務家のための産業保健のサイト」という名称だった。

また、確かに、杉田議員の寄稿がくだらないものだということも事実である。学術的な根拠は一切ないし、論理構成は低学年の小学生でも、もう少しましなことを言うのではないかと思えるほどのものだ。それについては、すでに前稿に書いているので、そちらを参照して頂きたい。

イ サイトの運営方針

しかし、私のサイトは産業保健のテーマばかりではなく、社会的な問題についても発信していくものにしたいと思っている。また、LGBTの話は産業保健と無関係とは思わない(※)

※ 現時点では、諸般の事情により「実務家のための労働安全衛生のサイト」のうち社会問題に関する記事を分離して、新たにこの「平児の社会と政治を語る」のサイトを立ち上げ、管理を平児氏にお任せしている。

ウ 杉田議員とは

杉田議員は、みんなの党、維新政治塾、日本維新の会、次世代の党と政党を転々としながら、何度となく泡沫候補として選挙に出馬し、日本維新の会が風に乗ったときに比例区で一度だけ当選したものの、当然のごとく落選を繰り返してきた人物である。また、そのようなことをしつつ、国連人権委員会でクマラスワミ報告の撤回を求めるなど、海外からもアンチ人権思想の持ち主と思われる行動をとってきた。

本来であれば、社会的にもあまり相手にされるような人物ではなかったし、事実、これまではかなり極端な発言を繰り返していても(※)、相手にされるようなことはなかった。

※ 例えば、2016年2月には自身のブログで、国連女子差別撤廃委員会に出席した人びとに対して、「国連の会議室では小汚い格好に加え、チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。完全に品格に問題があります」「とにかく、左翼の気持ち悪さ、恐ろしさを再確認した今回のジュネーブでした。ハッキリ言います。彼らは、存在だけで日本国の恥晒しです」と悪罵の限りを尽くしている。

また、2016年7月4日には産経新聞で、我が国の保育園について「旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本なのです。これまでも、夫婦別姓、ジェンダーフリー、LGBT支援-などの考えを広め、日本の一番コアな部分である『家族』を崩壊させようと仕掛けてきました。今回の保育所問題もその一環ではないでしょうか」と書いている。ここまでくると、いささか異常としかいいようがないだろう。

ところが、「21世紀の日本と憲法」有識者会議代表の櫻井よしこ氏によると、現職の総理大臣である安倍氏が、「杉田さんはすばらしい」として、比例代表の名簿の上位に据えて議員にしたのである。すなわち、我が国の政治のトップが自らの考えと一致すると考えた人物なのである。

今では同議員は安倍総理のチルドレンの一人となり、政治の表舞台に登場する可能性がでてきたのである。そして、実際にも杉田議員の考え方は現職の総理大臣である安倍総理の考え方ときわめて似通っているものだと考えられるのである。

エ 新潮45の問題とは

調査によって数値のばらつきはあるが、LGBTの方は、わが国の国民の3~10%を占めると考えられている(※1)。そのLGBTが「存在する必要がない」という、新潮45における杉田議員の主張は、そのまま安倍総理の考え方と同じだと思われるのである。だからこそ、安倍総理は杉田議員の新潮45における主張を容認しているのだろう(※2)

※ 東優子他「トランスジェンダーと職場環境ハンドブック」(日本能率協会マネジメントセンター2018年)による。

※ 自民党そのものは「関係者への配慮を欠いた表現がある」とは認めたが、「内容」が間違っているとは認めていない。また、二階幹事長が、自民党内の「いろんな考え方」のひとつであるとして、党是と矛盾しないとしたことも否定していない。安倍総理はさらに一歩進んで、本件について何も言っていない。要するに容認しているのである。

これは、くだらない問題などではない。まさに、我が国における基本的人権が危機的な状況に陥っているのである。


(2)なぜLGBTでない者がかかわるのか

ア 頂いたご忠告

また、本稿についてLGBTでない者が関わるのはおかしいのではないか、当事者は迷惑がっているのではないかというお叱りも頂いた。確かに、その批判については理解できる面もないではない。

また、問題が大きくなることで、当事者の子どもたちが苦しむのではないかというご指摘(※)があることも承知している。

※ 例えば、動画「『LGBTは生産性がない』についての正直な見解!報道と活動家の指摘は正しい??後半切実なお願い!&子どもたちへのメッセージ!早くこの話題が終息してほしい。」など

さらに、杉田議員に対する抗議行動などに批判的なLGBTの方がおられるということも、もちろん承知している。しかし、その一方、LGBT以外の人びと=例えば異性愛の人々=が、もっと関心を持って、批判の声を上げて欲しいと考えておられるLGBTの方がおられることもまた事実なのである。

LGBTだからという理由で政治的な思想が、みな同じなどということはあり得ない。その点は異性愛者と同じである。LGBTの方の中には杉田議員を支持しておられる方もおられよう。

イ 私の立場

(ア)当事者以外の者が声を上げるということについて

私自身は、社会的な問題への発言は、輪が広がってゆくことが重要であり、また当事者以外の方が声を上げていかない限り、マイノリティの人々に対する差別はなくならないと思っている。

沖縄の基地問題でもそうだが、当事者でない者が声を上げているということを批判することは、あまりにもばかげている。その理由としては、"当事者以外は発言・言論の自由が認められないなどということはない"という理由を挙げれば十分であろう。

LGBTの方と、そうではない方の間の差別をなくそう、そうではない方たちによるLGBTの方への偏見をなくそうとしているときに、その一方だけが参加していて世界を変えられるわけがない。

(イ)当事者がかえって苦しむということについて

もちろん、当事者がかえって苦痛を受けるというご指摘は、とくに子供たちにとっては深刻な問題である。そのことは理解しておかなければならない。

だが、ではなぜ、当事者が苦しむことになるのかということを考えていただきたい。ここで批判の声を上げなければ、杉田議員のような発言が、自由に行えるようになってしまう。そして、杉田議員は安倍総理の秘蔵子であるから、それが政権の方針となってしまうということも、現実味を持った脅威なのである。

アンドリュー・サリバン氏は次のように述べておられる。やや長いがそのまま引用しよう。

【アンドリュー・サリバン「同性愛と同性婚の政治学」より】

自らが置かれた状況を掌握していく力の喪失、多くの同性愛者は、この恐怖を障害にわたり繰り返し経験するのである。同性愛が話題となり、喉がカラカラになるとき、通りの反対側から同性愛を罵倒する声が届き、過去に苛まれていた屈辱感がなぜか再び沸き起こるとき、理解あるストレートの友人が悪意なく同性愛に関する冗談を口にし、思わず身の毛がよだつとき、そのようなときに経験するのである。さらに悪いことに、自らもこのような状況に荷担してしまっているのである。屈辱感に苛まれずにいられれば、事態を掌握する力が失われることもなく、自律性を放棄することもない。そうであってもトラウマは実際に起きているのである。誰かに勝手に定義づけられることで起きる窒息感に苛まれるのである

※ アンドリュー・サリバン「同性愛と同性婚の政治学」(2015年明石書店)

これは、LGBTの子供たちがおかれている状況の一端を正確に言い表している。LGBTの子供たちが苦しんでいることの一因は、LGBTの子供たち自身と周囲の人びとが、LGBTとは何者なのかを知らないために、自らの存在に誇りを持てないからなのだ。

ところが杉田議員は、このような状況を解消するために税金を使うことは正しくないと主張しておられる。それどころか、このような状況をより強化しようとさえしているのである。

ここで、声を上げていかなければ、状況はもっと悪くなる。8月5日の渋谷駅頭での抗議のとき、ドラァグクイーンのショーの後で発言した方が次のように述べておられた。

【8月5日の渋谷駅頭での抗議行動での発言から】

どんなに小さいことでもいいから行動してください。どんなに些細なやりかたでもいいから差別に反対してください。どうか、黙って沈黙を守ることで差別に荷担するのをやめてください。差別する側の見方ではなく、私たちの見方をしてください。一緒に差別を終わらせましょう。

私たちより若い世代の人たちが少しでも生きやすい社会をつくりましょう。私たちが味わってきた苦しみを、私たちより若い世代が感じなくてもすむような社会をつくりましょう。そのために私たちと一緒に差別に反対してください。

お願いします。

もうひとつだけ、付け加えよう。エマ・ワトソンが国連で問いかけた言葉だ。「私でなければ誰が?今でなければいつ?」

私自身は、実際の抗議行動にはいずれも参加していない。しかし、ネットで発言することはできる。だから、私も人権を守ることについて微力ではあるが声を上げてゆきたいと考えている。


(3)杉田議員の言論の自由を奪うのではないか

これは、私が言われたことではない。しかし、ネットの世界では、杉田議員への批判は、同議員の言論の自由を奪うだの、同議員へのヘイトだのという指摘があるようだ。

だが、これは馬鹿げている。説明責任を放棄して逃げているのは杉田議員の方である。誰も、杉田議員のWEBサイトを封鎖せよなどとは主張していない。また、雑誌社は杉田議員の言葉を取り上げるなとも主張していない。むしろ、これだけ話題になっているのであるから、雑誌等に寄稿しようとすれば、喜んで採用する雑誌社はいくらでもあるだろう。

一方、杉田議員を始めとして国会議員は国税から報酬を得ている公務員なのである。その発言に対して、賛否の意思を表明するのは国民の側としては当然のことであろう。

ヘイトとは、あるグループに対しての、憎しみをあおるような差別的言動のことであり、まさに人権を侵害するような行為のことなのである。もちろん、禁止されるべきヘイトと自由であるべき言論との境を明確にすることは困難ではある。しかし、杉田議員への批判は一部を除けば正論であるし、ヘイトなどではないことは明らかである。繰り返すが、そもそも国会議員がその発言に批判を受けるのは当然なのである。

むしろ、杉田議員の新潮45の発言の方が、LGBTに対するヘイトスピーチというべきものではなかろうか。


3 何をなすべきか

(1)杉田議員に政治的責任を負わせよう

私自身は、杉田議員の発言に対して、政治的責任を取らせるべきであると考えている。国会議員は、その発言に対して政治的責任を追及されることがあることは当然であり、それはその議員の"言論の自由"などとは無関係の問題である。

杉田議員が一私人としての立場のときに発言しているのであれば、その言論は、犯罪行為や不法行為=名誉棄損など=にならない限り、道義的・倫理的な批判を受けるだけで済むだろう。しかし、国会議員の立場で発言している以上、政治的責任を負うことがあるのは当然であろう。

そして、政治的責任とは何か。国会議員の辞任である。それ以外にはあり得ない。


(2)自民党は差別の容認をやめるべきだ

自民党は、杉田議員の発言についての自民党の立場は、二階幹事長が明確にしている。すなわち、「いろんな考え方の人がおりますからね、それを右から左まで各方面の人が集まって自由民主党は成り立っておると思っておりますから。こういう発言があったということは、そういう発言だということに理解をしていく」という立場である(※)

※ 自民党の8月1日付け文書「LGBTに関するわが党の政策について」は二階幹事長の見解を否定していない。従って、二階幹事長の見解は、現在でも自民党の公式な見解である。

すなわち、"LGBTは存在するな"という杉田議員の発言は自民党の党是に矛盾していないというのである。しかしながら、我が国に現に存在している人々に対する差別を容認することは、党としてもただちにやめるべきであると、自民党には申し上げたい。

杉田議員は、差別をしている人びとに対して、あなたたちは正しいというメッセージを出しているのであり、差別を助長しているのだ。

また、自民党は同性婚の導入に明確に反対しており、地方自治体のパートナー制度にも否定的である。口先では「性的な多様性を受容する社会の実現を目指し、性的指向・性自認に関する正しい理解の増進を目的とした議員立法の制定に取り組んでいます」というが、その内容はきわめて不十分なものである。しかも、自民党は与党の立場であるにもかかわらず、現在まで「議員立法の制定」ができていないということは、やる気がないからだとしか言いようがない。

カジノ法は、未曽有の水害が発生している状況においてさえ、強行採決をしたではないか。差別のない社会に向けて、もっと努力をするべきであろう。


(3)何よりも同性婚を認めよう

憲法24条は、同性婚を禁止してはいない。それは多くの憲法学者の認めるところである。LGBTの権利を認めるためには、なによりも同性婚制度の導入が必要であると考える。

そこが実現すれば、LGBTの社会的な認知度も高まり、差別の緩和も進むのではないだろうか。

同性婚を認めることについて、現在の自民党は強く反対している。しかし、国民はそうではない。同性婚を認めることについては、2015年の時点でも、国立社会保障・人口問題研究所の調査で賛成が過半数となっているのである。

これを認めることは多くのLGBTの当事者にとって、様ざまな問題を解消することになる。その一方で、多数派にとっては何も困ることはないのである。


(4)学校教育においてLGBTの教育を行おう

若いうちからLGBTについての正しい教育をすることは、当事者の苦痛を和らげるばかりか、差別しようという心をなくしてゆくことにもつながるのである。さらには、教師自身が差別的な言動を行ってLGBTの子供を追いつめること(※)の防止にもつながるであろう。

※ 残念なことではあるが、教師自らがLGBTに対して差別的な言動をすることは、小学校から大学院まで、すべての学校で現に起きている。LGBTについて蔑視するようなことを子供たちの前で発言したり、ときには子供たちと一緒になってLGBTの子供に侮辱的なことを言ったりすることさえめずらしくないのである。

そして、そのような教育が行われることは、少なくない子供の生命を救うことになるだろう。

杉田議員は、これについてLGBTへの特権を与えるだの、LGBTには生産性がないから税金をかけるべきではないだの、教師にとってそのような教育は大変だとの、理由にもならない理由で反対する。

しかし、前2者は暴言に過ぎず、最後の理由も、LGBTについての知識教育はそれほど難しいものだとは思えず、理由になっていない。思春期の子供たちに性教育を適切に行うことの方がよほど難しいだろう。


4 最後に

最後に、7月27日の自民党本部前での抗議行動において叫ばれたスローガンを掲げて、本稿を終えることにしたい。

【7月27日の抗議行動でのスローガン】

人権無視する議員はいらない

杉田水脈は議員を辞めろ

差別をするな